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育てること(提言)

 いじめによる児童、生徒の自殺が後を絶たないのは、本当に悲しいことです。いじめられる側に非があるのではなく、いじめる側の人間性に根本的な問題があります。そして、いじめを遠巻きに見ながら、見て見ぬふりをする側にもいじめる側と同様に問題があります。無論、いじめの存在に気づかずにいる現場教諭の責任も大きいのですが、もっと突き詰めて考えるといじめる側の人間に育ててしまった、また、いじめを見て見ぬふりをする人間に育ててしまった家庭の責任こそが最も大きいと言えるでしょう。

 いじめによる自殺が報じられるたびに、考えさせられることがあります。いじめる側の児童、生徒は、これまでのわずかな人生の中で生き物を育てたことがあるのだろうかと。彼らに共通するのは、過保護、溺愛の家庭環境、あるいは"砂漠的"な家庭環境が存在するということではないでしょうか。その反動として、抵抗できぬ弱い者をいじめることでみずからを満足させているのではないでしょうか。平気で弱者をいじめる児童、生徒たちが、こつこつと生き物を育てる生活環境にあるなど、その光景すら想像できませんし、考えにくいと思います。

 生き物を育てることは生命を大切にすることであり、育てる過程でその生き物の病気や事故、さらには死に直面することもあり、そこから命の尊さを学んだり、得がたいものを体得することになります。しかし、いじめる側の子は「悪いことをしている」という感情が欠落したまま弱い子をいじめ抜き、時には死に追いやるわけですから、ほとんどはみずからの手で生き物を育てた経験はない、と推察できます。

 そこで、お子さんのいるご家庭に提言させていただきたいのですが、いじめる子、いじめを見て見ぬふりをする子にさせぬためにも、生き物=生命=の世話をする環境を早い段階で整えてあげてはいかがでしょうか。それは、犬でも猫でもいいでしょう。日本人の心に最もマッチするのは秋田犬、と当クラブ事務局や提携オーナーの皆さんは自負しておりますが、「いじめと無縁の健全な子にしたいなら秋田犬の子を迎えればいいですよ」とPRしているのではありません。好きなもので結構ですから、熱心に育てられる、そして人間教育、家庭教育につながる生き物をわが子に育てさせてみてはいかがでしょうか。

 生き物の世話をさせるのは、中学、高校生になってからだと「めんどくせえよ」などと言われかねませんので、開始時期は園児、小学校低、中学年など早ければ早いほど良いと思います。将来のある身を小、中、高校生のうちに散らせてしまうのは、いじめられた子がもはや誰にも救えぬほど追い込まれたからにほかなりません。本当は生きたかったはずです。

 際限なく続くいじめに耐えながら、かろうじて生をつなぎとめている子どもたちは、全国に数え切れぬほどいるでしょう。いじめる側になってしまった人間に「いじめるな」と叱っても、罪の意識はほとんどないわけですから、たとえ出席停止の措置を講じたとしても付け焼刃でしかありません。家庭のあり方こそが最も大事です。生き物を育てることを通じて生命の尊さを知る健全な人間になるよう、早い段階でご家族が前向きに取り組むことを願ってやみません。

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