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生命の架け橋

 犬に命を救われた例は、世界中に数多くのあるのではないか。獣や暴漢、猛犬に遭遇した際に身を挺して主人を護ったり、急病や事故の際に助けを呼びに行ってくれたりなど。秋田犬に直接命を救われたのではないにしろ、秋田犬の存在がなかったら、とうに生きることを諦めていたという秋田犬界の重鎮が、かつて秋田犬発祥地にいた。いかにして秋田犬に命を救われたのか、また、こうした救われ方もあることを、その人が旅立った今、秋田犬ファンの皆さんにご紹介したい。  

 「医者の誤診で、危うくみずから命を絶つところだった」と、生前、その人はいった。当時、夕方近くなると背中に激痛が走り、七転八倒するほどの苦しみに苛まれた。藁をもつかむ思いで、近くの総合病院に駆け込んだ。白血病に冒され、生きて半年、あるいは3カ月の可能性もある、と医師は家族にのみ告げた。

 本人に病状を伝えるのを、家族はためらった。蒼ざめた夫人の顔色に尋常らしからぬ事態を感じ取った彼は、血縁である同病院の看護師に会い、「どんな宣告でも驚かない。医者が家族に何と告げたのか、教えてほしい」と頼み込んだ。担当医のもとで従事していた看護師は、やむなく事実を打ち明けた。

 いかに腹の坐った人でも、死の宣告をされてうろたえぬ者などいまい。一瞬にして絶望が脳裏を駆け巡り、時の経過とともに「自殺」の二文字が眼前にちらつき、やがて決意に至らせた。

 どうせ死ぬのなら、たらふくうまい物を喰って、浴びるだけ酒を飲んでから死のう。そう心に決め、経営者が知り合いである隣町の宿で3日3晩、喰い、呑み続けた。家族には宿の主人から伝えてもらった。「心配するな」と。無論、何を喉に押し込んでもうまいはずはなく、酔えるはずもなかった。

 3日目の夜。どしゃ降りの雨が、宿の窓をたたいていた。近くの川が水かさを増していた。濁流に身を投じれば、死ねるか。外に駆け出し、誰もいない橋を渡った。雨に打たれつつ、幾多の秋田犬と歩んだ半生を振り返ってみた。

 と、その時、ふとある男の顔が脳裏をよぎった。隣県の大学病院教授。秋田犬を通じ、長いつきあいだった。 1度思いとどまって宿に戻り、教授に電話を入れた。気休めながらも、死ぬ前に、声を聞きたくなった。医者なら、心情をいくばくかでも分かってくれるかも知れぬ。微かにそう望みつつ。

 「これから、死のうと思う」。弱々しい態で受話器の向こうに告げた。ただならぬ空気を、教授は感じ取った。死を決意する男の説明から事情を飲み込むと、教授は「おれが診る。死ぬのは、それからでも遅くはねえだろう。タクシーを差し向けるから、あす、それに乗れ。早まるなよ」と宥めた。

 一縷の望みとともに、彼は翌日、差し向けられたタクシーに乗り、50キロほど離れた大学病院に向かった。広い一室に通された。待ち受けていたのは、10数人の若手医師や助手を従えた旧知の教授。学者然としたその風貌は懐かしくもあり、頼もしくも見えた。

 促され、診察台の上にうつ伏せになった。ひととおりの検査を経て、教授は告げた。「白血病なんかじゃない。菌によって、脊髄で白血球が異常をきたしていた。それで背中に激痛が走るんだ。今、楽にしてあげよう」。

 教授は脊髄に注射らしきものを刺した。すうっと、何かが抜けていく気がした。「これで、死ぬ気になどならないはずだ」。自信にあふれた教授の声。生きる喜びが、体のどこからか、再び甦るようだった。

 教授は激怒した。「誰だ! 白血病などと誤診した奴は!」。その人は、総合病院の担当医の名を告げた。こともあろうに、担当医は教授から学んだ医師だった。教授は即座に受話器を握り、担当医に怒号を浴びせるや、カルテを持って飛んでくるよう命じた。

 「あの時、秋田犬仲間である教授の声を聞きたいという気持ちが起こらなかったら、間違いなく川に飛び込んでいた」と、その人は後に振り返った。教授との間で"生命の架け橋"の役割を果たしたのは、まぎれもなく秋田犬だった。秋田犬を通じて懇意にしていなかったら、とうに亡き人となっていた。 犬が直接主人の命を救う場合もあるだろうし、こうした形で救うこともある。教授からもらい受けた余生を秋田犬と愉しみ、彼は80半ばで静かに旅立った。

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