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マニアック同士

 秋田犬は減少の一途をたどり、発祥地の秋田県大館市はもとより全国的に後継者が育っていないため、今後も減少に歯止めをかけるのは至難の技だろう。減少の背景には、とどまるところを知らない洋犬ブームや高齢化に伴う熟練飼育者の引退などが挙げられる。

 大館市でも若い世代の後継者は片手の指の数ほども育っておらず、ベテランの高齢化は確実に進んでいる。そう遠くないであろう地元リーダーの引退が引き金となり、「秋田犬発祥地」が形骸化への道をたどるのは予想に難くない。天然記念物秋田犬の将来はそれほどまでに危うく、今や秋田犬は完全にマニアックな部類に入った。

 秋田犬に展覧会という"舞台"があるのと同様、一部の人々によって熱い"戦い"が繰り広げられている動物がほかにもいる。マニアックつながりで、今回はレース鳩にスポットをあててみたい。

 秋田犬、レース鳩とも「飼育したい」という強いモチベーションが沸き起こらない限り、一般市民には縁遠い存在だ。秋田犬飼育の後継者が育っていないのは冒頭で触れたとおりだが、日本国内に限ってみれば、レース鳩も同様である。昭和40年代に空前の鳩ブームだった当時の「鳩少年たち」が、今も脈々と飼育しているパターンが多い。従って、大方は筋金入りの飼育者たちで、ほとんどが「職人気質」。

 「伝書鳩」という呼び方が一般的だった時代は、戦時中に機密情報などを、また新聞社が現地から記事を本社に送る際などに、通信手段として重宝された。しかし、インターネットやケータイが情報・通信の最先端である現代は、鳩が通信手段として活用されるのは皆無で、ほとんどの飼育者が情熱を燃やす対象はレースだ。

 放鳩地から鳩舎まで1,000羽以上でスピードを競うのはごく普通で、参加羽数が軽く1万羽を超える「万羽レース」まである。国内でのレースも短距離の100キロから超長距離の1,400キロまでと幅広く、日本人の感覚では及びもつかないが、中国に至っては5,000キロなどという破天荒とも思えるレースさえある。

 血統や素質に恵まれているからといって優勝できるものではなく、厳密な管理と限りなく深い愛情が求められる点では、展覧会で勝負に挑む秋田犬と何ら変わらないだろう。優勝実績のある鳩でも、次のレースではハヤブサやオオタカに襲われて命を落としたり、気温上昇や悪天候など何らかの原因で落後することも珍しくなく、無事に帰還できるかどうかは運にも大きく左右される。「Pigeon Sports」(ピジョンスポーツ)とも呼ばれる鳩レースは、まさに不確実な世界だ。

 日本は、後継者が育ちにくい風土なのかも知れない。秋田犬と同様、レース鳩飼育も若い世代はほとんど育っておらず、これに対してレース鳩大国のベルギーやオランダをはじめとする欧州諸国などは、家族ぐるみで取り組んでいる点や、日本と違って賞金を獲得できるという魅力もあり、後継者について将来的な心配はさほどないように見受けられる。

 秋田犬も日本では、多くは家族ぐるみで飼育しているが、親が展覧会に情熱を燃やしたので子が後を継ぐかといえばそうでもない。勝負の世界ではなく家族の一員としてのみ秋田犬を飼育するなら、より深い管理技術は必要ないが、展覧会で勝ちたいとなるとそうはいかない。おのずと秋田犬を掘り下げて勉強しなければならず、その情熱は誰にでも持てるものではない。

 半生を秋田犬にかけてきた人々は「秋田犬の達人」であって、高齢化に伴ってそうした存在が1人、また1人と姿を消しいていけば、家族の一員、つまりペットとして飼育する人がそれほど減少しないとしても秋田犬飼育のノウハウは後世に受け継がれることなく秋田犬の犬質向上への取り組みも衰退する。

 つまり、秋田犬とともに長年生きてきた人々は秋田犬界の財産であり、後継者のいない引退は大きな損失だ。レース鳩も同様で、昭和40年代の飼育開始よりもずっと古いベテランの引退者は確実に増えており、後続が育っていない日本のレース鳩界もいずれ衰退していくと推察できる。

 さて、秋田犬を直接目にした際、多くの人はある種の感慨とともに「おおっ、秋田犬だ」と感じるのではないか。これに対し、レース鳩に対しては「なんだ、鳩か」程度にしか思わないのではないだろうか。レース鳩と神社仏閣などにいる土鳩(どばと)は同じ、と誤認する人も少なくない。秋田犬とレース鳩に対する一般の見方には、大きな"温度差"があるように思える。

 それは、秋田犬には国民の誰もが知る「忠犬ハチ公」という"確固たる主役"がいるのに対し、レース鳩は広く周知されるハチ公的な存在が見当たらないのが背景にあるかも知れない。また、「うるさいし、汚すし、鳩は近所迷惑」といった世間一般の先入観も否めない。

 鳩舎周辺を一定時間飛ばし込む「舎外」や訓練での失踪、レースでの落後などを想定し、レース鳩飼育者の多くは多頭飼いである。このため、犬の飼育以上に近所から苦情を受けやすく、高齢に伴う引退ではなく、「まだまだレースを楽しみたいが、苦情で舎外が一切できなくなり、断腸の思いで飼育を断念する」という人も全国には少なくない。

 「朝っぱらから、隣家の鳩が屋根を歩きまわって騒々しい」「干している布団や洗濯物を糞で汚された」などといったクレームが主で、少なくとも隣接する住民と良好な関係を保つよう努力しない限り、レース鳩飼育を長期間続けるのは至難の技だ。白い目で見られる可能性があるという意味では、レース鳩飼育は秋田犬より格段にむずかしい。

 無論、それぞれの飼育者にすれば、秋田犬にもレース鳩にも、ともに惹きつけて離さない魅力がある。馴染みの表現も双方で微妙に異なり、興味深い。例えば、同胎(どうたい)と同腹(どうふく)。同じ両親から同じ日に生まれた兄弟、姉妹を意味するその表現を、秋田犬は他犬種同様「同胎」と呼び、レース鳩は「同腹」と言う。

 秋田犬には、こんな表現もある。「先っ腹」(さきっぱら)と「後っ腹」(あとっぱら)。他都道府県のベテランの中には「聞いたことがない」という人がいるかも知れないので、とりあえずは「秋田県内の熟練者の間で使われている」と前置きしておこう。「先っ腹」とは、同じ両親から先に生まれた、つまり兄や姉を意味する。その逆が「後っ腹」。

 レース鳩は、どう表現されるだろうか。例えば「全兄弟」。先であろうが後であろうが、同じ両親から生まれた兄弟をさす。ここで異なるのは、秋田犬の「先っ腹」「後っ腹」は先に生まれたか、後に生まれたかが理解できるのに対し、レース鳩の「全兄弟」は後先が分からない。それを補うために「全兄」「全弟」などと言ったりもする。

 一方、秋田犬とレース鳩で共通しているのは「異母兄弟」「異父兄弟」など。類似した意味でレース鳩には「半兄弟」という言い回しもあるが、秋田犬では使わない。

 それぞれの世界で情熱を傾けてきた人々が馴染んだ表現が秋田犬とレース鳩で異なるのは当然だが、同じマニアック同士と考えれば、見方によっては面白く、相通ずるものがある。

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