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恐いのは人間

 秋田犬は恐い? 実は、恐いのは人間である。忠犬ハチ公に代表されるように、秋田犬は従順かつ温和であるがゆえに、数多い犬種の中でも飼育しやすい部類に属する。だが、忘れたころに秋田犬による噛傷事故、最悪の場合、噛まれたことによって死亡に至ったというショッキングな報道がなされる。そうしたニュースは瞬く間に全国に伝わり、秋田犬を家族の一員にしたい人々の気持ちも一気に萎え、「秋田犬は恐いから、迎えるのはやめよう」となる。

 そのような事故が発生すると、肩身の狭い思いをしなくてはならないのは、正しく秋田犬を飼育している人々だ。「あの家には秋田犬がいるそうだ。恐いよね」などという誤解に悩まされることもないとはいえない。

 冒頭で述べた「実は、恐いのは人間である」について論じてみたい。社会には、本来、秋田犬を飼育すべきではない人が存在する。そうした人たちによって、とんでもない事故が発生することが稀にあり、今現在、発生していなくてもいずれ発生するリスクをかかえている。

 では、どのような人が「秋田犬を飼育すべきではない人」なのか。その一例が「愛情」と「溺愛」を区別できない人。愛情と溺愛は、違いが判りにくい場合もあるが、本質は天と地ほどの差がある。

 例えば、お子さんがおられるご家庭は、そのお子さんが今、親の贔屓目(ひいきめ)ではなく、客観的にみて誇れる成長をしているなら、両親、家族の深い愛情に恵まれたからであろう。もし、わが子が「とんでもない人間になってしまった」としたら、"上げ膳据え膳"という表現に代表されるような溺愛の中で育ててしまった、またはわが子に対する愛情が欠落していたことになる。

 秋田犬も同様である。育て方を一歩間違うと、誤った方向に成長してしまうことがある。その最たる例が人間の場合と同様、「愛情」と「溺愛」の取り違えだ。溺愛し続けると、何でも「いい子、いい子」で、叱るべきときに叱らないという、きわめて基本的かつ重要なことがなされない。結果、近所に迷惑をかけるほど無駄吠えをしたり、場合によっては噛傷事故を起こしかねない。

 逆もまた然り。殴って育てると、うっ憤のはけ口でもあるかのごとく、やがて飼育者以外の人に矛先を向けて爆発することがある。このほか、薄暗い空間に閉じ込めるような生活や、やみくもに広い場所への半ば野犬のような放し飼いなど、避けるべきことがいくつかある。さらに、絶対ではないにしろ、性格の荒い他犬種と暮らしている秋田犬も、感化される傾向がみられるようだ。

 これから秋田犬を迎えたいと思っている皆さんはまず、胸に手を当て、考えてみていただきたい。「愛情と溺愛を取り違えずに、育てられるだろうか」と。「できそうにない」という直感がよぎるなら、秋田犬と暮らすのはやめた方がいい。

 みずからの失敗や不注意で事故が発生すれば、多大な迷惑をこうむるのは噛まれた相手は無論、純粋な愛情を注ぎながら秋田犬と暮らしている全国の皆さんである。これから迎えようとする方々は、ただ「飼いたい」ではなく、「社会や全国の飼育者に対しても責任を負う」ということを事前に認識すべきであろう。

 2000年から全国の多くの皆さんに秋田犬の子を送り出している当クラブは、購入希望の皆さんとのやり取りの中で「将来的に不安」と思える方はすぐに判る。結果、そのような方には迎えていただいていない。穏やかな気性の秋田犬を"モンスター"にしないでほしい。そう願いつつ、当クラブは宝物のような秋田犬を、愛情に満ちたご家庭に送り出している。     

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