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いずれいつか…

 それは、瞬きする暇(いとま)もない、零コンマ数秒の出来事だった。数多くの秋田犬と接してきたが、これまでの半生で、初めての衝撃である。肉体的痛みより、精神的な痛みがはるかに大きい。

 生後1年と数カ月になる虎のオス。岩手に住む彼はその日、家族とともに大館にやって来た。イベントを見物するための来所。他の犬種も大差はないだろうが、秋田犬も1度触れあった人間を憶えている。仔犬の時の彼、そして穏やかな血統であることも知っている。先に再会した1年前も軽いスキンシップをとおし、従順な性格を保ちつつ成長していることを確認できた。

 彼は、ワゴン車後部のケージの中にいた。その体躯にしては、ケージが少し狭いのが気になった。ケージ越しに、口元に人差し指を静かに差し出した。隣には主人が立ち、愛犬の様子を見守っている。口元に手や指を差し出すと、"問題"のない育ち方をしている秋田犬はペロペロと舐めたり、甘噛みをしたりする。これまで幾多の秋田犬にそうしてきたが、すべてが一致した動作である。

 しかし、彼は違っていた。犬が喧嘩をする際の牙を剥き出した強暴な表情に豹変し、「がっ!」という常軌を逸した声とともに上顎の切歯2本が深く人差し指に食い込んだ。紛れもない本噛み。「こら!」と主人が叱る。爪の境付近から、一気に鮮血があふれ出た。たまたま持ち合わせていた絆創膏をもらい、応急処置をしたものの、血は止まらず、絆創膏が血で染まった。

 絆創膏の上を止血のためにティッシュペーパーで強く押さえ、申し訳なさそうに詫びる主人に訊いた。「こんなことは、以前にもあったのですか?」。少なくとも家族の前では穏やかで、他人を噛むこともなかったと言う。

 1年前に柔和だった秋田犬が、一瞬にして豹変する態度や凶暴性、つまり他人を噛むには、必ず原因がある。秋田犬には野性の血が流れていて、かつては熊を中心とする狩猟者に同行するマタギ犬であったり、闘犬時代もくぐり抜けてきたが、事はそうした次元の話ではない。その点を"落とし所"にしてしまうと、秋田犬による噛傷事故が全国各地で多発する理屈になる。

 秋田犬発祥地の大館では"いぶし銀"のごとき熟練者らが、5頭前後、人によっては10頭近く飼育している。しかし、数10年の秋田犬飼育歴の中で流血するほど噛まれることはほぼ皆無、かつ、ベテランが負傷した記事やニュースが報道されたことは1度もない。

 彼ら熟練者には、共通点がある。決して、秋田犬を甘やかしたりはしない。体罰も、よほどのことがない限りはしない。秋田犬がいかなる存在であるかを知り尽くし、溺愛や過保護ではない、深い愛情を注いでいる点で一致する。

 リビングルームで家族と秋田犬が、長時間べたべたした関係で暮らす。散歩の際、2またの道があり、犬なりに好きな方へ行かせる。それでなくとも毛皮の"コート"を着ているのに、冬は寒かろうと犬用の服やコートをあつらえる。誕生日にはごちそう、正月にはおせち料理を作る等々。それらはみな、過保護、溺愛の温床であることに気づいていない秋田犬飼育者は全国に少なくない。当地に限らず、秋田犬と半生をともにしてきた熟練者たちは、決してそのようなことはしない。

 家族の一員としての秋田犬を大切にし、心から慈しみ、愛する。それはとても意義深く、大きな価値がある。しかし、秋田犬と暮らす人は常に自問自答しなくてはならないのではないか。「これは愛情だろうか。溺愛ではないだろうか」と。

 翌朝、目を覚まし、噛まれた人差し指を見ると、化膿止めのクスリを塗って前夜に絆創膏を張り替えたにもかかわらず、まだ血がにじみ、鈍痛が走った。痛みは、4日目にようやく止んだ。それ以上に、精神的にきつい。何が彼をそうさせたのか、と思いあぐねる。「きちんと育てています」と言いたげな主人に、「あなたの飼い方は根本的にどこか間違っています。このままでは、いずれいつか……」と助言できなかったのが悔やまれた。豹変する秋田犬は、いわば休火山のごときもので、「いずれいつか……」の危険性が高い。

 主人の一言も気になった。「ケージの中にずっと入れたままにして来ました」。狭いケージの中での長時間、ストレス。それがピークに達し、怒りが噴出した……。その可能性も否定できないが、突き詰めて考えるとそれは当たらない。溺愛ではない、深い愛情とともに育てられた秋田犬は、そうした状況下でも"キレる"などということはない。つまり、根本的な問題がその犬の内面に介在し、前述の"休火山"の状態にあると考えた方が妥当なのではないか。

 「秋田犬は、決して甘やかすことなかれ」。発祥地の熟練者や先人たちの一致した"飼育哲学"。すべてが、そこに集約される。それに徹することができないと、不幸な事態は起きかねない。彼が「いずれいつか」不幸を引き起こさないことを祈りつつ、このコラムを締めたい。 

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