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三たびハチ公の色

  「みぞぐちカツなる人物が、ハチ公クラブを名指しで書き込みをしていますが、知っていましたか」と、お客様の1人が不快げに耳打ちしてくれた。無論知っており、ちりちりとした不快感を否めずにいたが、"無言"を貫いてきた。しかし、お客様にも同様に不快感を感ずる方がおられるとすれば、話は違う。まずは"問題"のページをご覧いただきたい。 

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 この人物の最も無責任な点は、何一つ論理展開をすることなく、文献の切り抜きをべたっと貼り付けて当クラブの名をあげつらね、以前掲載したコラムの内容を暗に批判している点であろう。すでに掲載期間を終えていたコラムだが、今コラムのために再度掲載してみる。

 当クラブが「憤っている」などと、この人物は決めつけている。が、「憤っている」と「批判している」が根本的に異なるのを、著書があるからには物書きを生業(なりわい)としているであろうにもかかわらず、まったく咀嚼できていない。むしろ、それ以前の問題で、何も論理展開できないにもかかわらず、単に当クラブの名をあげつらねている。

 ちなみに、「憤っている」を換言すれば「腹を立てている」となり、主観性が色濃い。これに対し、「批判している」は「腹を立てている」とは異なるトーンを有し、そこには客観性が介在する。つまり、「腹を立てている」だけでは批判足り得ないわけである。さらに平たく言えば、当クラブは国立科学博物館を批判はすれ、腹を立てる理由も動機もない。「みぞぐちカツ」なる人物は、この点を微塵も理解していない。

 一方、「忠犬ハチ公の剥製の色」というタイトルを付した文章がある。当クラブのコラムをもとに緻密に論理展開しており、客観的で考察が興味深い。この中で筆者は、当クラブが「不満を述べられている」と表現しているが、「不満」は「批判」につながるため、単なる「憤っている」とは異質のものであろう。そうした観点から、筆者はある程度配慮した書き方をしていると解釈できる。

 ただ、ハチ公の色について当クラブが「赤い色をしていたはずだと想定されているようだ」との記載に対しては、異論を禁じ得ない。下段で触れるが、当クラブの見解にかかわらず、当時の文献にはハチ公が白毛ではなく、赤毛であることを認知している表現がある。また、当クラブはハチ公の"シンボル性"に重きを置いているのではなく、ハチ公の剥製はもとよりレプリカまで「ハチ公は白」とすることにより、全国の多くの人たちが「ハチ公は白」と誤認している。その事実を、同博物館はいかなる認識で受け止めているのか、と疑問を呈したのである。よしんば、「白いハチ公」を現行のまま展示したとして、「ハチ公は本来、赤毛です」との注釈など不要と考えているのか、という点も付け加えたい。

 2014年3月8日のハチ公の命日だったと記憶している。大手検索サイトのGoogleは、日本語版トップページに渋谷駅で主人を待つハチ公の絵を掲載した。白いハチ公。恐らくは、ハチ公の剥製やレプリカを見て、「ハチ公は白」と誤認したものであろう。むしろ、「ハチ公が白であろうが、赤であろうがどっちでもいい」ことだったのかも知れない。これもまた、同博物館が与えた影響ではないのか、と考えざるを得なかった。ほかに、ハチ公を白く描く材料がないからである。

 「みぞぐちカツ」なる人物が管理団体の許可を得て、「ハチ公健在」の文献を自分のページに掲載したのかどうかは判らない。それはさておき、同内容に言及すると、ハチ公の色について山本悌二郎氏が「黄毛」、つまり秋田犬の世界で使用する表現の「赤毛」と断じたのに対し、自分たちが見た限りでは薄赤、白の部類に入れてもさして不都合ではない、などと筆者は記している。

 これに加え、古来から忠犬は白と相場が決まっているのでハチ公も白だ、と言わんばかりの論理のすり替えまでしている。当然のことながら、ハチ公の色と「忠犬が白」などということは何の因果関係もないばかりか、古今東西の忠犬が白であろうはずなどない。ちなみに、当クラブも協力して韓国の出版社が刊行した「全世界の子どもたちを感動させた偉大な犬の物語」(邦題)では、ハチ公を含む世界7カ国の犬たちを紹介しているが、そこには赤もあれば、斑(ぶち)もあり、狼色もある。

 ハチ公は昭和10年3月8日、渋谷駅から少し離れた場所で、ひっそりと13年の生涯を閉じた。齢を重ねるにつれて人間の頭髪は白くなっていき、最後はほぼ真っ白になる。それと同様、赤毛の秋田犬も10数年生きると、若い時代とは比較にならぬほど赤の基調が弱まる。犬によっては「白に近くなる」ことも十分にあり得る。当クラブも少なからず、老いによる毛色の変化を目の当たりにしてきた。

 ハチ公も色の変遷を遂げたことに疑う余地はなく、同文献で「吾々」なる人らが「薄赤」と表現していることからも、もともとハチ公は赤毛であったことを認めているのが分かる。つまり「黄毛」と見立てた前述の山本氏も、「薄赤」と見た「吾々」も、異口同音にハチ公の元来の色は赤であることを認知している。

 蛇足を申せば、昭和62年8月1日に公開された映画「ハチ公物語」(松竹富士配給)をはじめ、後にハリウッドで制作されたリチャード・ギヤ氏主演の映画、さらには過去に放送されたハチ公のテレビドラマのすべてで、ハチ公の色が白として描かれたことは皆無である。それら作品は"時代考証"に基づいて制作されており、ハチ公が赤毛であることに寸分の疑いもいだいていない。

 ここまで論理展開すると、「みぞぐちカツ」なる人物はこう切り返したくなるであろう。「文献に、ハチ公が白に近いと書いてあると言っただけだしさあ。それが、何なの? 理由(わけ)わかんねえ」と。ならば、その文献をもとに自分の考察を丁寧に紹介すればいいのであって、ほんの3行ばかりの短文に、ことさら当クラブの名称、コラムをあげつらう必然性などどこにもない。無論、「短文のツィッターだから許される」という低レベルの次元ではない。

 とどのつまり、「憤っている」などというある種乱暴で短絡的な表現をしつつ、当クラブのイメージを損ねている以外の何ものでもない。そこに当クラブの名前とコラムを明記するなら、当コラム内に「みぞぐちカツ」の名を明示することにも、必然性が生ずるのである。

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