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秋田犬の二極分化

 秋田犬発祥地の秋田県は、二極分化が一気に進んでいる。地区大会に位置づけられる支部展、ブロック大会に位置づけられる総支部展、そして全国大会たる本部展に挑む「大会犬」と、観光客に愛嬌を振りまくのが"使命"の「観光犬」。

 以前はその境目がさして明確でもなかったが、2018年に平昌(ピョンチャン)冬季五輪フィギュアスケート金メダリスト、アリーナ・イルナゾヴナ・ザギトワさんに秋田犬「マサル」が贈られたのを機に秋田犬人気に火が付き、「観光犬」が秋田県内の各地で"誕生"し、以降、二極分化の様相を呈し始めていた。

 では、「秋田犬」という共通項以外に、大会犬と観光犬とではどこが異なるのだろうか。答えは明白だ。犬質に雲泥の差がある。眼の力、鉢(頭)の大きさ、形、耳の大きさ、厚さ、位置、体全体の構成、色など多くの点で芸術的な完成度を求められるのが大会犬。これに対し、くりっとしたドングリ眼(まなこ)で観光客に「カワイイ〜」と言わしめ、「モフモフ」させてくれれば観光犬として事足りる。

 換言すれば、観光犬を大会に出陳(参加)させればほぼ間違いなく最下位で、大会犬は「眼が全然カワイクない」などと観光客にそっぽを向かれるのが関の山である。つまり、それぞれに求められるものがまったく異なるため「二極分化」という形容がふさわしいのではないか。

 本部展で1席(優勝)を獲得したり、文字どおり最高の名誉である「名誉章」を勝ち取った秋田犬の眼は「寄らば斬る」の厳しさをたずさえている。かつ、王者だけに許される圧倒的なオーラを総身から放つ。観光犬にそれは、望むべくもない。

 当クラブに対して最近、「眼がくりっとしたカワイイ子がほしい」というオーダーが目立ってきた。これも二極分化の産物であろう。秋田県内の観光犬を見物した皆さんが「カワイイ」=「とても良い秋田犬」の"図式"を頭に描くようになった。秋田犬に長くかかわってきた者にすれば忸怩(じくじ)たる思いで、「これもまたトレンドか」と落胆せざるを得ない。

 日本が太平洋戦争に敗れた後、進駐軍はほんの一握りの秋田犬を米国に連れ帰った。その子孫は「アメリカンアキタ」と呼ばれ、日本の秋田犬とは異なる「アキタ」としてそれなりの"地位"を築いている。秋田県内で二極分化が最終到達点に至れば、大会犬と観光犬は日本の秋田犬と「アメリカンアキタ」のごとく「別もの」として扱われるかも知れない。

 そこには、危惧すべき点がある。秋田県内では大会に半生を費やしてきたベテランたちが高齢化で続々と引退し、後継者は皆無に等しい。当地大館市などは、次世代に技術と知識がまったく伝承されていない。筆者の知る限り、「高齢者」と呼ぶにはまだ少し間がある2人を残し、あと数人の熟練者らは今後5年以内に秋田犬の世界から姿を消す。

 つまりそれは、秋田県内では今でも数少ない大会犬が限りなく絶滅に近づき、代わりに観光犬が台頭することを意味する。秋田犬の世界にとってそれがいかに危ういことか、ほぼすべての県民は気づいていない。気づくどころか、関心すらない。観光客起爆剤としての秋田犬を「お犬様」と言ってはばからぬ知事、各市町村長、議員らもその中の一人である。危機感の欠落。

 秋田県内で大会犬が姿を消していくことは「正統な秋田犬を後世に遺そう」という先人たちのたゆまぬ努力と遺志を放棄するに等しい。秋田県の秋田犬は本来、秋田犬発祥地の誇りをかけて本部展で常勝しなくてはならない。しかし、現実はほんの1、2頭を除いて全国の強豪にまったく太刀打ちできない。その事実こそが、秋田県に大会犬が絶滅しつつあることを示している。

 ゆえに、秋田県内では全国に誇れる優れた秋田犬がいなくなり、代わりに愛嬌を振りまくだけの、到底大会では使えない犬たちが台頭し、今後さらにその勢いは強まる。それによって、秋田県は「どれが優れた秋田犬なのか、まったく判らない」という者たちで占められる。秋田県では、発祥地でありながら秋田犬の優劣を見抜く眼すら受け継がれていないのである。 

 二極分化はやがて完結し、貴重な大会犬が姿を消すことに対し、現在もそうであるように秋田県内では完全に無視されるだろう。例えば、県内のある地方紙。大会犬の危機になど「臭い物に蓋」とばかりに眼を向けようともせず、秋田犬の記事を美辞麗句で飾る。観光犬が子を産んだだけで大きく紙面を割く始末だ。観光犬は一種の「アイドル」ゆえに、記者らは挙(こぞ)って飛びつく。

 マスコミが「空前の秋田犬人気」とはやし立てたのは、「ザギトワ人気」以降のこと。しかし、「空前の秋田犬人気」とは秋田犬を見たい観光客が多いことのみを意味しており、大型犬であるなど複数の要因で腹をくくらないと飼えぬ秋田犬を「飼ってみたい」とまでは至らない。「見たい」という欲求を満たす観光犬がもてはやされているにすぎず、まさにそれこそが二極分化が進む秋田県の姿そのものであろう。

 筆者は、観光犬を全面否定するわけではない。が、秋田犬で国内外の観光客に真の「おもてなし」をしたいなら、全国に誇れる大会犬を観光犬として活用すべきである。秀逸な大会犬を観光客に披露すれば、おのずと二極分化は解消される。そのために大館市をはじめとする県内の観光犬の管理者らには、秋田犬を「学ぶ姿勢」と「より良くしたい」という向上心が求められる。 (2020年3月24日掲載)

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