秋田犬がいない生活が数年に及ぶロングスタンスの方はどちらかといえば少数派で、亡くなって数10日あるいは数カ月で迎える方が多いという印象を受ける。こうしたショートスタンスの方々は、何年も新たな秋田犬を迎えない方以上に「秋田犬がいない暮らしは考えられない」という気持ちが強いようだ。
もう一つの迎え入れのパターンは、これまで1度も秋田犬を飼育したことはないが、少年、少女時代などかなり以前から秋田犬に憧れていて、「いずれは必ず迎え入れたい」と願い続けてきた方々。この中には、両親や祖父母が犬を飼育していたが、自分で犬を迎え入れるのは初めてで、「飼うとしたら秋田犬以外、考えられないと日ごろから思っていた」という方もかなりいる。そうしたモチベーションは、子供のころなどに遡る場合が多く、「近所にとてもたくましくきれいな秋田犬がいた」と話す方々も少なくない。
あと一つのパターンは、別犬種を現在進行形で飼育していて、それに加えて秋田犬を迎えたいと願う方々。飼育していた秋田犬が他界した、という方々ほどではないが多いことに違いはない。そうした方々は、別の日本犬を飼育している場合が多く、洋犬と同時進行で飼育するという方は少数派だ。ただ、家族の一員だった犬が洋犬で、他界した後に秋田犬を迎えることにした、という方もいくらかみられる。
このように、秋田犬を家族の一員として迎えるに至る経緯はいくつかにパターン化できるが、共通しているのは過去に秋田犬を飼育していた方には、「秋田犬はもうこりごり」と語る人はいないという点。全国の中には絶対にいない、ということもないだろうが、少なくとも当クラブはそのような方に接したことは1度もない。ということからすれば、忠犬ハチ公に代表される秋田犬は、ほとんどの人に癒しや和(なご)みを与えこそすれ、不快、「いやだ」という気持ちにさせない日本犬と解釈できる。
秋田犬のすばらしさを絶賛する声は、海外からもメールなどでよく届く。秋田犬の本当のすばらしさを知っているのは日本人だけ、というのは日本人の思い上がりに過ぎず、外国人の中にも最近は誤った知識を改め、秋田犬の真髄に触れたいという人々も出てきている。