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隠語「どん兵衛」

 当地の大ベテランが時おり使う、秋田犬の評価に対する隠語がある。「どん兵衛」がそれ。「隠語」の意味について、広辞苑は「特定の仲間の間にだけ通用する特別の語」と説明している。「どん兵衛」は全国的に馴染みのある表現だ。麺類の商品名としても知られるし、居酒屋などでもこの名を使っている店が各地にあるのではないか。

 では、秋田犬の場合、どのようなときに「どん兵衛」という表現を使うのか。秋田県内で開かれたある支部展での一場面を例に挙げてみる。熟練者の部類に入る支部展参加者が、生後120日ほどの赤オスを次期出陳犬として、犬仲間たちに披露していた。県内や近隣県から集まった犬仲間たちは「いい犬だなあ。展覧会でも上位を狙えそうじゃないか」と褒めちぎった。

 そのオーナー、前述の大ベテランに犬を一番に見てもらいたがっていたのであろう。しかし、大ベテランは犬仲間たちの輪には加わらず、遠まきにその犬を眺めていた。しびれを切らしたのか、オーナーは大ベテランのもとへ歩み寄り、「どうですか? この犬」と自信ありげな顔で訊ねた。大ベテランは「なかなかいい」と本人の前では言ってみせたが、オーナーのもとを離れると、つぶやいた。「どん兵衛」。

 つまり、「どん兵衛」とは、展覧会でさしたる評価を得られない秋田犬をさす隠語なのである。秋田犬に限定した表現としては全国で広く使われているような印象は受けないし、秋田犬発祥地の大館市ですらこの大ベテランを含むごく限られた人しか使っていないように思える。きわめて"マニアック"な言い回しなのだが、犬を小馬鹿にしたでもなく妙に愛嬌のある響きが漂う。

 無論、「あなたの犬はどん兵衛だ」などとは、オーナーに対して面と向かって口にすることはない。この大ベテランは「私の犬はどうですか?」と訊ねられても、よほど相手との信頼関係がない限り、「こんな犬じゃ、だめだよ」などとけなすことはしない。相手を傷つけたくない、と考えているからである。

 だが稀に、「私の犬はどうですか?」と訊かれた際に「うーん」と言葉を濁すときがある。それこそが、「これでは展覧会に勝てないよ」と、暗に自覚を促すサインだ。日本で最も厳しい審査員として鳴らした人だけに、「うーん」の意味は大きい。

 あえて大ベテランが率直な批評をするとすれば、自分の犬舎で生まれた犬について。自分で作りあげた犬だから、あえて欠点を口にしても誰も傷つくことはない。他人の秋田犬がたとえ「どん兵衛」であっても、それをおくびにも出さないのが、その人流の心配りなのであろう。

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