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遠き"秋田犬道"

 秋田犬は耳で学ぶのではなく、目で学べ。これは、全国の秋田犬審査員から「先生」と呼ばれる秋田犬界の大御所が、折に触れて口にする言である。人の話で秋田犬を学ぶのではなく、幾多の秋田犬を直接目で見て学べ、という意味。約20年にわたって"鬼の審査員"として君臨した人だけに、重厚な響きがある。

 「今の審査員は、耳で学ぶ傾向がある。目で見る数が多くなければ、その犬のどの点が優れ、どこが劣っているのかを、瞬時に判断できない」と現役審査員にも厳しい。その大御所に当クラブ事務局は、長期間にわたって教えを請うているわけだが、いろいろなことをご教示いただけばいただくほど秋田犬の奥深さを痛感させられる。

 ある時、大御所の数十年来の「秋田犬仲間」であるベテラン犬舎に同行した。生まれていたのはオス、メス各2頭の虎。「先生、どうですか。どの子もいいスベぇ」と秋田犬仲間は、自慢げに言った。名誉章受章経験もあり、50数年の飼育歴は全国の5本の指に入る。大御所より少し先輩なのだが、秋田犬界をリードしてきた実力に敬意を表して「先生」と呼び、子犬が生まれると見てもらう。

 虎は、赤や白以上に良し悪しの判断がむずかしく、数頭の子犬の中からどれが最も優れた素質を持っているのかを的確に見分けられる熟練者は多くはない。生後約30日のきょうだいたちが戯れる様子を、大御所は無言のまま見つめた。この中から2頭を迎え入れる。数十年のつきあいとはいえ、犬仲間には「気に入った方を手元に置きたい。そうでない仔を持っていってほしい」という腹がある。4頭のうちの2頭が有する"ある点"を、先生は見抜くだろうか。犬仲間は大御所が子犬のどこを見ているのかを、観察した。

 大御所は10数分にわたり、子犬たちを凝視し続けた。結論が出た。「メスはこっちにするよ」。犬仲間は一瞬、唖然とした。絶対に判別できないであろう点を、大御所は見事に見破っていた。「先生には、かなわねえなァ」と、犬仲間が苦笑する。

 選ばれなかった犬は、選ばれた犬よりも心持ち大きく、色も優れている。犬仲間は、こちらを選んでほしかった。しかし、その犬は、よほど管理能力に秀でたベテランが迎えない限り、脚を「いっぱい、いっぱいにする」タイプだった。経験の浅い者が色や姿、形がいいという理由だけでそうした犬を迎えると、成長過程で脚を"棒"にしてしまい、展覧会で上位入賞は期待できない。この点を克服して完璧に仕上げられるのは、熟練者100人のうち1人いるかどうかだ。展覧会を目指す素人のもとに旅出たせるとなれば、なおさら選んではいけない犬だった。

 一方、オスのきょうだいもメスと同様に、色のより良い方が作りあげるのにきわめてむずかしいタイプの子だった。が、意外にも大御所は、その子を迎えることに決めた。生後10カ月になるまで脚の状態を毎日観察し続け、関節の組み具合に合った運動をさせなくてはならない。そうした地道な積み重ねによって、この犬は隠れた素質が開花するという読みが、大御所にはあった。50年の間に培った洞察力のようなものだ。事実、大御所は楽をして作れる犬は手元に置かず、「何だ、こんな犬」と別の熟練者が捨てようとした虎の素質を見い出し、脚を作りあげ、最高峰の名誉章を勝ち取ったこともある。

 帰途、大御所は言った。「色のいい虎ほど、成長過程で脚の管理がむずかしい要素を持っている場合がある。この傾向は、赤や白より虎に強い」と。では、いかにして判別するのであろうか。「立たせてみると判る。だが、たとえ虎を50年飼育しても、漫然と飼育していれば判りっこない」。子犬たちは普通に立ち上がり、寝転んだように見えた。しかし、大御所はその動作が訴えかけてくる微かな"違い"を見逃さなかった。この大御所にすら「50年間毎日額(ひたい)を突きあわせても、分からない」と言わしめるのだから、"秋田犬道"を体得するのがいかに遠い道のりであるか、語るべくもない。

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