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「美しさ」の代償

 英米では、ドッグショーでの審査基準をめぐって議論が沸き起こっているという。英国最大の犬団体が重要な決定を下したことなどからして、日本にも影響する可能性があるため、今コラムでこの問題を取り上げてみたい。

 問題の根底にあるのは、犬の「美しさ」の追求。「美しさ」を競いあうドッグショーは世界各国で盛んで、「美しさ」の尺度とするために審査基準が存在する。しかし、「美しさ」を過度に追求するあまり、重近親による交配も当たり前のように行われ、そのしっぺ返しとして遺伝性の疾患などが表面化する。

 こうした近親交配による手法を含め、犬は長い年月をかけて人間の「好み」の姿へと変貌してきた。 例えばブルドッグ。かつてはもっと背が高く、鼻もあれほど露骨に平坦ではなく、全体的な外見は現在のように強烈なインパクトはなかったという。それが「改良」の名のもとに幾重にも人間の手が加えられ、今の姿になった。

 つまり、自然の法則に沿ってブルドッグは現在の形になったのではなく、人間が作り上げた"産物"との表現も可能だろう。問題視されているのは、人間が手を加えたことを原因とする弊害。鼻がべったり潰れていることで呼吸がしにくく、必要以上に頭が大きいため重く、脚は著しく短くなり、いわゆる「ずんぐり、むっくり」の体型となった。これに伴い、みずからの力で種を残すことができなくなり、人間が手を貸してやらなければ出産を含む交配は不可能という。ドッグショー会場で、ある出陳者は「この子は、自分で子どもを産めない」と話していた。こうした状況について、米国の専門家は「いずれ種が絶える」と警告を発している。

 この事態を重くみた米国のテレビ局、ABCは特集を組み、米国最大の犬団体に取材を申し入れたところ、団体としても多額のカネを拠出して問題解決に取り組んでいる、とのコメントを出した。が、専門家は「その対応は後手に回っている」と批判。テレビ局はさらに同団体のナンバー2にインタビューを求めたところ、いったんは了承したものの、放送の仕方を懸念したのか、キャンセルしてきたという。

 米国内の愛犬家によっても考え方には開きがあるようで、数頭のブルドッグを飼育しているある夫婦は「きちんと運動だってしてあげているし、今の状態に何の問題があるのか」という趣旨のコメントを出していた。

 一方、英国の犬団体は問題をより深刻に受けとめている。愛犬家の間で賛否が渦巻く中、ブルドッグを含む数種類の犬種について、2009年から審査基準を変える方針を示した。従来の審査基準に合致した犬を作り上げ、チャンピオンの座を射止めてきたブリーダーなどにとって同基準の変更は、とうてい受け入れられるものではなかろう。いわば、「あなたの犬は今まで優れていたけど、これからはそうじゃないよ」と突き放されるようなものだ。

 そもそも審査基準は犬のためのものか、人間のためのものか。呼吸もしづらい、出産もできない、いずれ種が絶えかねない犬に作り上げ、それに対して「審査基準に合致した」と表現するのであれば、審査基準など人間のエゴでしかなく、ドッグショーで勝つための"マシン"にすぎない。

 秋田犬に目を向けてみると、国内最大の秋田犬団体は昭和2年(1927年)に発足した。闘犬が盛んになったのを背景に、それまで「大館犬」と呼ばれていた土着犬の血が"混濁"し雑種化することへの懸念が設立の根底にあった。以来、「犬質向上」の名のもと、少しずつ秋田犬の姿、形は変貌を遂げてきた。

 秋田犬会館の博物室に展示されている歴代「名誉章」の写真は、一見の価値がある。初期のころに「日本最高」の評価を受けた秋田犬と今の姿が異なることを、視覚的に理解できる。"昔"は土佐犬とも思えるような顔立ち、体型で、今なら普通に作出しても出るはずがない「ブチ」模様も存在した。

 少なくとも、現在の秋田犬は英米で論じられているような「美しさ」を追求しすぎるがゆえの問題は、表面化していないように思える。だからといって安穏としていいはずはなく、秋田犬団体や展覧会出陳者、審査員は現行の審査基準でいいのか、客観的な眼で秋田犬の現状と向きあう必要がある。

 秋田犬の数は、加速度的に少なくなっている。全国的に後継者が育っていない中、高齢化に伴ってベテラン飼育者は徐々に引退し、「真の秋田犬の姿」を明確に認識できる者も少なくなっていくだろう。「本当の秋田犬って、どんな姿なの?」という疑問だけが残り、それを語り継ぐ人々が絶えてしまう未来も予想に難くない。ブルドッグなどに代表されるような美しさの"ねじれ"を生じさせることなく、秋田犬本来の姿が脈々と次の世代にバトンタッチされていくことを願ってやまない。

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