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秋田犬の子をお迎えになりたい皆さんの中には時おり、このようにおっしゃる方がいる。「私は、秋田犬展覧会に興味はありません。入賞するために過酷なことを強いる飼い方は、したくありません」。また、展覧会場に1度も足を運んだことのない方が、展覧会に情熱を燃やす人々を、ことさら悪行でもしているかのごとく非難する声もたまに聞く。なぜ、このような誤解が巷に広まりつつあるのか疑問に思う。そこで今コラムでは、展覧会に対する色眼鏡を外す方が1人でも増えることを期待しつつ、一筆啓上したい。 そもそも、 秋田犬を展覧会に出すことがなぜ過酷な状況下に置いている、ということになるのだろうか。展覧会で上位入賞するには、優れた血統だけではなく、飼育者に涙ぐましいほどの努力や忍耐が求められる。大切な秋田犬とともに展覧会で勝利を収めることは、"2人6脚"による日々の苦労の開花なのであり、「上手に立て!」と愛犬を殴るわけでもないし、食餌を抜くわけでもなく、長時間のランニングを課すわけでもない。 無論、展覧会にまったく興味がなく、家族の一員としてだけ暮らすのもいい。しかし、展覧会に情熱を燃やす人々の圧倒的多数は、「勝つ」ためだけに目の色を変えているわけではなく、人生の張りあいや生きがいをそこに見い出している人々である。だから彼らは皆、展覧会当日まで愛犬を大切に磨き上げ、秋田犬たちも愛情を肌で感じている。それなくして、秋田犬は展覧会場で堂々たる雄姿を披露するはずなどない。 あえて、やや「疲れる」といえるなら、遠距離から展覧会に参加する際の長旅ぐらいのものだが、それとて出陳犬は皆、旅に耐えられるだけの体力を日々培っている。何より、忠犬ハチ公がかつて大館駅から10時間以上も汽車に揺られて東京へ旅をしたように、今の時代、子犬たちは航空機や新しい家族が遠路はるばる迎えに来るクルマに乗って旅をする。意気揚々と展覧会に乗り込んでくる秋田犬たちの長旅を見て、「ひどい忍耐を強いている」と考える人がいるとすれば、そのような人は新しい家族のもとへ旅立つ子犬を見ても「ひどいことをする」と思うのだろうか。 当クラブは、展覧会や主催団体を美化するものではない。事実、秋田犬の純粋さとは裏腹に、陰でカネの臭いがする何かが"蠢く(うごめく)"こともある。しかし、それはごく少数の者たちの所業であって、展覧会に情熱を燃やす全国の圧倒的多くのオーナーは、「愛犬の名を、会場で高らかに呼ばせてやりたい」との純粋な気持ちで展覧会に臨む。 本当に展覧会に向けた飼育、管理が秋田犬にとって過酷なのかどうかを、そう思っている皆さんは1度、最寄りの会場を覗いてみてはいかがか。そうすれば、出陳者の情熱と秋田犬の躍動感を肌で感じられるのではないだろうか。1度も会場へ足を向けず、「過酷なことを強いている」と色眼鏡で覗き込むのは慎みたい。 「犬質の向上。展覧会は、その目的の一つでしかない。そして大切なのは親睦と融和。勝つのみにあらず」。秋田犬界の重鎮が、日ごろ口にしている言葉である。「勝利至上主義」の呪縛から逃れられぬ者が、ごく少数ながらいることは否めない。その中には「勝てない犬はいらない」と言ってはばからぬ者もいる。また、派閥的グループが存在し、それが望ましくない展覧会環境を作り出しているのも事実だ。 しかし、多くの参加者はそのようなものに惑わされず、「親睦と融和」の精神をきちんと咀嚼(そしゃく)し、展覧会を楽しんでいる。彼らは何より、愛犬とともに"ステージ"に立つことに、誇りを見い出している。そうした心情を理解せず、「展覧会に出すなどというひどいことはしたくない」的な考えに凝り固まっている皆さんには、一考を求めたい。 ジョッキーにムチ打たれてコースをひた走る競走馬、極限の疲労と戦いつつ1,000キロ先から我が家を目指すレース鳩など、人間と深いかかわりをもつ他の動物についても、その世界を知らない人々は「何という過酷なことを強いるのか」と思いがちだ。しかし、そうした動物に深くかかわっている人々の多くは、疑いの余地なく深い愛情を注いでいる。やみくもに批判する前に、「その道」を少しだけ辿ってみてから語っても、遅くないのではなかろうか。
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