|
先に、尨犬(むくいぬ)のことを秋田県内などで「もぐ」と表現すると紹介したが、当地で使われている興味深い言い回しをもう一つ披露してみたい。これも「もぐ」と同様、秋田犬にのみ限定される表現ではない。しかし、「なぜそのような言い回しをするのかは分からないが、妙に味がある」と思える表現なため、当コラムで取り上げてみることにした。 「たでる」が、それである。「もぐ」と同等、またはそれ以上にマニアックな言い回しで、ここ大館市内でも若年層は「意味不明」と感じるかも知れない。何の違和感もなく現代でもこの表現ができるのは一定の年齢以上、例えば50歳台からではないだろうか。 使い方の一例としては「犬をたでる」がある。漢字にした場合、「立でる」と「建でる」が候補に挙がるが、恐らくは「立でる」の方だろう。「たでる」とは「飼育する」の意味だが、どのような動物、生き物にも使うわけではない。「犬をたでる」のほかに「鶏(とり)をたでる」「べご(牛)をたでる」「馬をたでる」「ぶだ(豚)をたでる」などの使い方があろう。蛇足だが、土地の言葉では「ぶだ(豚)」「ねご(猫)」「はど(鳩)」「はぢ(蜂)」、そして秋田を代表する魚、鰰(はたはた)を「はだはだ」と呼ぶように、一部を濁音とするものが少なくない。これも方言の一種だろう。 犬を例にした「たでる」の会話例としては、「秋田犬、じっぱりいだスな。何びぎ、たてでらスか?」(秋田犬がたくさんいますね。何匹飼育しているのですか?)。これに対して、飼育者が「んだスなぁ。このめぇ、子っこど、まいだたいに、10ぴぎ、たてでらごどになるス」(そうですねぇ。この前、子犬たちが産まれたので、10匹飼育していることになります)。 この中で「じっぱり」は若年層は絶対と言っていいほど使わない、超マニアックな"じいさん、ばあさん言葉"で、きわめて泥臭い部類の"大館弁"のやり取りにしてみた。「たてでら」は「たでる」の変化形と、とらえてよかろう。 不可思議な点がある。犬の場合は大型犬、小型犬に限らず「たでる」と表現するのに対し「猫をたでる」や「ハムスターをたでる」などは聞いたことがない。使っている人はいるのかも知れないが、マイノリティー(少数派)ではないだろうか。また、「鶏をたでる」「鳩をたでる」などと言うのに対し、文鳥やセキセイインコなど体の小さい鳥類は、「たでる」は使わない、またはマイノリティーであるように思える。つまり、限定的、と解釈していいのではないか。 「たでる」が、いずれ死語になるであろうことに疑いの余地はない。インターネットに代表されるように情報が氾濫(はんらん)している現代、「犬っこ、たてでらスか?」などという表現がお年寄りの口からこぼれると、ノスタルジックな温もりを感じさせる一方、あと10年もすればこうした言い回しをする人がこの世にいなくなるのだなあ、と寂しくさえも思える。 死語になってしまう前に、教育現場は国語や社会科授業の一環として「古き良き時代」の土地の言葉を子どもたちに伝えることも、ふるさとを再認識する上できわめて意義深いと思えるのだが、いかがなものだろうか。 出ては消える"新語"に敏感に反応する現代の子どもたちは、祖父母またはそれ以前の代が使ってきた土地の言葉を教えたところで「だせぇよ、そんなの」と一笑に付すかも知れない。また、詰め込み教育が復活しそうな現状の中で、「余計なもの」と教育者の多くは考えるだろうが、ふるさとを愛し、「温故知新」の意識をもてる人間を育てるのも教育ではないか、と思える。
|