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見苦しい光景
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 秋田県大館市の桂城(けいじょう)公園で毎年5月3日に開かれる「春の本部展」ではこの数年、ある光景が年ごとに見苦しくなってきた。今回は、この点について論じてみたい。

 何が見苦しいか。審査の真っ最中に、つまりハンドラーが"戦(いくさ)"をしている最中(さなか)に、そして審査員が審査に全神経を注いでいる最中に、無遠慮に審査会場に入って撮影しまくる欧米人らの姿。あらかじめ主催団体から許可を得ているとか、いないとかの次元の話ではない。そもそも許可を与えている主催団体が無神経であり、「彼らが中に入って撮影しているのだから自分もいいだろう」と追随して中で撮影している欧米人にすらも注意を与えていない。まさに、欧米人に対する日本人特有の"弱さ"を露呈している。

 本部展の取材に訪れる地元の記者たちがいる。基本的に彼らは、ずかずかと中に入ったりはしない。「後で撮影する時間を設けるので、それまで中に入らないで下さい」という大会事務局の暗黙の要請に応え、良いショットは審査会場外から望遠で撮影する。地元の記者だからいつでも中に入れる、にもかかわらずである。それがマナー、と心得ているからだ。

 しかし、欧米人には「わざわざ遠いところから見に来てあげたんだから、中で撮らせなさいよ」という意識があるのか、まったく遠慮するふうもなく、審査の中心部分に入って撮影しまくる。ここには、2つの大きな問題点がある。まず1点。彼らが複数入り込むことにより、会場は審査員、ハンドラー、秋田犬、会場内を整理する大会役員、そして必要に応じて糞(ふん)を片付ける係員が「くんずほぐれつ」の状態になる。犬は落ち着かず、ハンドラーと審査員は集中力を欠きかねない。そうした意味から、日本のメディアですら撮影時は細心の配慮が求められる。

 第2点。この「ごちゃごちゃ状態」を、全国から訪れたギャラリーがどう見るか。複数の外国人が審査員とぶつかるほどそばでカメラを構える光景を「おお、国際的だなあ」と好意的に見る人はどれほどいるだろう。純粋に審査風景を楽しみたい見物客は「あの外国人たちは、なぜあんな所にいるのか」と不快に思うのではないか。

 日本人は基本的に、欧米人と接する"勇気"に乏しい。これに加え、主催団体は欧米人に対応する英語が堪能なスタッフを大会当日配置していないため、大会役員は無遠慮に中で撮影している欧米人に対し、「今は大事な審査の最中だから、中に入らないで下さい」と、たしなめられるはずもない。欧米人に毅然たる態度を取れない。根本的な問題がそこにある。言葉が通じず注意を与えられないがゆえに、彼らは「どこでも撮れる」と思い込み、ずかずか中に入り込む。事前に許可を得ている、いないにかかわらずである。そのようなことを容認して本部展の雰囲気を壊すより、欧米人に対応できるスタッフを1人でもいいから配置し、撮影できる場所、タイミングをきちんと指示する。そうしなくてはならないのに、主催団体は旧態依然として、彼らの無遠慮な撮影姿勢に見て見ぬふりをしている。

 上の写真をご覧いただきたい。「壮犬」の案内板の周囲には、横向き2人と背中1人の計3人の欧米人がいる。彼らを撮影するために撮った1コマではない。審査風景を撮影するショットですら、複数の欧米人が映り込む。中央の審査員の表情は「気が散って、しょうがない」と見えなくもない。その隣の、一目で欧米人と分かる女性は「さあて、どれを撮ろうかなあ」と、"品定め"でもしているかのようだ。その先にいる赤帽の欧米人男性も、カメラ片手にのんびり歩いている。背中に秋田犬の顔をプリントした欧米人男性は、「ここを動かないぞ」と言わんばかりに腰を下ろしている。皆さんは、こうした光景をどう思うだろうか。「いいじゃないの、それだけ本部展が国際的だという証拠なんだから」と歓迎するだろうか。

 マナーの悪さを理由に、事実上締め出されていた外国人の東京・築地市場のマグロ競り市への入り込みが、厳しいルールを設けた上で2010年5月10日から再開された。締め出し前、彼らは無遠慮に撮影しまくり、中には商品のマグロに直接手でさわる者まで少なからずいたという。あまりのひどさに、競り市会場に一切立ち入ることができなくなっていた。

 ここで最も重要なのは、再開するにあたって厳しいルールが設けられた点。春の本部展と築地のマグロ競り市を同一線上で論ずることはできないまでも、築地の措置には春の本部展で活かすべき教訓が存在する。「遠慮」は、日本人の美徳の1つに挙げられる。しかし、大方の欧米人はその観念が乏しい。本部展の主催団体は早くそれに気づき、審査本来のために、そして全国からやって来た見物客のために抜本的な対策を講ずるべきだろう。

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