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 秋田犬の幸不幸

 旅立つ先によって、秋田犬の幸、不幸が決まる。「たくましく成長しました」と多くの方々から写真が届き、中には直接見てもらおうと遠路はるばる車に乗せて来られる方もいる。一方で、旅立ったきり、まったく便りのない方もおり、こちらとしてはそれぞれの犬に思い入れがあるため、「幸せに暮らしていてほしい」との願いをふくらませる。

 いずれ秋田犬界最高峰の名誉章を受章できる、とオーナーが並々ならぬ自信を持っていた、1頭の犬を取り上げてみたい。 秋田犬と暮らして半世紀を超える大館市の超ベテランオーナーには、1歳数カ月になる犬舎ナンバー2の若犬(赤・オス)がいた。子犬を買い求めに来た、ある実業家が「これほどすばらしい秋田犬は見たことがない。子犬ではなくこちらの犬を、何とか譲っていただけないか」と懇願した。「こいつは将来がとても楽しみだから、誰にも渡せないよ」と、譲渡依頼を断り続けてきた犬だった。結局、実業家に根負けしたオーナーは旅立たせることにしたのだが、その決め手は「あの人は人柄もよさそうだから、旅立っても幸せに暮らせるのではないか」との結論に至ったことによる。

 喜んだ実業家は「いくらで売ってくれますか」と訊ねたが、このオーナーにとって秋田犬は売り物ではない。だから、値段は口にしない。実業家は「この犬とあなたに惚れた」と、金額的に最大限の誠意をみせた。展覧会には出さず、家族の一員として暮らさせる、とオーナーに伝えた。将来"天下"を取れる犬だが、この先静かに暮らしていくのも彼にとっては幸せかも知れない、とオーナーは思った。

 だが、オーナーには何も告げず、翌年秋の本部展に実業家は、その犬を出陳した。それも、前オーナーが聞いたら激怒するであろう最悪のコンディションで。最高の生活環境、運動、管理のもとで暮らしていた彼の姿はすでにそこにはなく、尾はだらりと下げ、腹部は肥満していた。恥ずかしい、以外の何ものでもない順位だった。自分が作り出した犬が悪い状態で展覧会に出されて論外な結果に泣かされることを、前オーナーはいたく嫌う。

 展覧会で勝つには「管理が5、素質が5」。長年の経験の中で培った彼の"秋田犬哲学"。いくら素質に恵まれても、管理がおざなりでは名犬ですら駄犬に落ちぶれる。そうしたケースは多く、この例もまさにそれだった。

 秋田犬界のカリスマともいえる前オーナーは、全国にネットワークをもっており、自分のもとを旅立った犬が粗末に扱われていると、そうした情報網を通じて連絡が入る。「あんなひどい状態で、本部展に出していたよ」と、本部展に居合わせた秋田犬仲間が伝えてきたことで、今回のことが発覚した。オーナーは実業家に「展覧会に出すなら出すと、なぜ言ってくれないんだ」と不快の念を露にした。事前に知っていたなら、出陳など許可しなかった。しかし、実業家は悪びれる様子もなく、「次はオスではなく、いいメスを譲ってください」と受話器の向こうでいった。

 裏切られた気持ち、そしてろくに運動もさせてもらえず、10頭近い種々雑多な犬と暮らしている不幸な境遇にあったことを、その後に知った。展覧会で尾を巻かなかったのは、極度のストレスが原因。「あいつも不運な宿命だったのかなあ」。田園を生き生きと疾駆していた頃の愛しい犬を思いつつ、前オーナーは力なげにつぶやいた。「残念だ」。

 前オーナーが秋田犬を「商品」と考えていたら、これほど落胆することはない。しかし、まぎれもなく秋田犬は「商品」ではなく、「家族」なのである。嫁いだ娘が不幸な境遇に置かれていれば、親も沈痛な思いをするのと何ら変わらない。

 だが、誰のもとに旅立つのか、その人物の奥底までは読めないし、前オーナーもまた、「いい人に見えた」という判断に誤りがあった。この時点で、犬の明暗は分かれる。豊かな愛情を注ぎながら、幸せに暮らさせてくれる人のもとにだけ旅立たせたい。当クラブも同様の思いである。ここは忠犬ハチ公が生まれた地であり、秋田犬の発祥地。つまり、秋田犬の"聖地"。だからこそ、われわれ秋田犬に接するものは「どんな人のもとに旅立つのか」に、強くこだわらなくてはならない。

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