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心をとどめた魂

 大切な家族の一員として暮らしをともにしてきた秋田犬が先立った時の、家族の悲しみははかり知れない。育てる過程でいろいろと手を焼かされながらも、それとは比較にならぬほど大きな贈り物をもらったと誰もが思う。だから、送り出した後、家族は「本当に良い犬だった」と振り返りつつ、走馬灯のごとく巡る思い出を回想する。

 愛知県に住むAさんも、愛犬との別れに泣いた1人である。と同時に、奇妙、かつ鮮烈な体験をした。今回は「魂」をテーマに、Aさんが語ってくれたお話を秋田犬ファンの皆さんにご紹介したい。

 赤毛の秋田犬、サブは12歳半ばだった。その日の朝まで、元気に過ごしていた。しかし、時の経過とともに体調がすぐれぬ様子をみせるサブ。尋常ではない状態に、Aさんは気づいた。唇の内側をめくると、本来鮮やかなピンク色のはずが、血の気が失せたかのごとく真っ白。一刻の猶予もならぬと判断し、近くの獣医院にサブを運んだ。

 「両方の脾臓に腫瘍ができていて、どちらも破裂している」。獣医師の診察結果に、Aさんは愕然とした。朝まで元気だったのに、なぜ……。容易に信ずることができなかった。緊急手術。「途中で死ぬかも知れないし、無事に終えたとしてもきょうのうちに息を引き取る確率が高い」。獣医師の説明は、予想だにせぬ冷酷な現実以外の何ものでもなかった。それでも、1分、1秒でも長く生かしてやりたい。すべてに承諾し、サブの腹部にメスが入った。何とか無事に手術を終え、酸素マスクをあてがいながらストレッチャーの上に横たわるサブにAさんと家族は、声をかけ続けた。「死ぬな、死ぬな。サブ」。

 まんじりともせず一夜を明かしたAさん家族は翌日、とるものもとりあえず入院先に向かった。再び呼びかけると、サブはうっすらと眼を開けた。手術が成功したとはいえ、峠を越えたわけではなく、いつ命の終焉を迎えても不思議ではなかった。「高齢犬が比較的かかりやすい病気で、手術の有無にかかわらずほとんどがその日のうちに死ぬ」との説明を受けていた。助かる見込みは0.1%もない。ならば、住み慣れた我が家から送り出してあげたい。家では、蘭が待っている。

 赤毛の蘭は、サブの"妻"である。サブより二つ年上。終生、2頭の間で子をとることはなかったが、とても仲のよい夫婦として長い間、生活をともにしてきた。

 手術から3日目。住み慣れた我が家に戻り、家族に囲まれて静養していたサブに、やがて終焉の時が来た。静かに横たわる姿に、命が風前の灯であることを知ったAさんと家族は、庭にいる蘭を臨終に立ち会わせようと名を呼んだ。「蘭、蘭、早くおいで……」。いつもなら呼べば一目散に家の中に走りこんで来る蘭は、じっとこちらを見つめるだけで、サブのもとへ歩を進めようとはしなかった。

 家族に見守られながら、サブは12年半の生涯を閉じた。突然に等しい死は痛々しいが、みんなに愛された。死の直後、その場に立ち尽くし、蘭は沈痛な遠吠えを喉の奥から絞り出した。鳴いているのではなく、泣いている。そうとしか解釈できぬ蘭の声が、家族の悲しみを増幅させた。蘭は、3日間泣き続けたという。

 ペット霊園で供養を済ませたAさん家族が、奇妙な経験をしたのはサブが旅立ってから2、3日してからのこと。家の玄関上部には、防犯のために設置した照明灯がある。誰かが来れば点灯する灯り。故障しているわけでもないのに、数日間にわたって点いたり消えたりする現象がたびたび起きた。生前のサブは、蘭とともに家の中を自由に出入りできた。「サブだよ、サブに違いない」。照明灯の点滅に、誰ともなしに口にするようになった。そう信じたい、というより、それ以外に考えられなかった。 

 思い余ってAさんは、霊感が強い知り合いに現象を説明した。「残された蘭のことが、サブはとても気がかりなようです。だから、離れずにまだここにとどまっている」という。子犬のときにやって来たサブを、蘭は優しく迎えた。何をするにも一緒。子に恵まれなかったとはいえ、"ふたり"は深い絆で結ばれていた。年齢からすれば蘭の方が先に旅立つところを、サブが逝った。老いた蘭が気がかり。そうした"後ろ髪を引かれる思い"とともにサブの魂は数日間、住み慣れた空間にとどまったと察せられる。Aさん家族は今、サブの分も長生きしてほしいと願いつつ、残された蘭に深い愛情を注ぎ続けている。

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