BANNER0808.JPG - 66,727BYTES

 欧州の「審査員」

 秋田犬の発祥地がここ秋田県大館市であるように、世界各国にはそれぞれ、その国原産の犬がいる。そしてまた、各国には発祥地の犬の権威が存在する。日本には秋田犬の権威がいるように、ジャーマンシェパードならジャーマンシェパードの権威、ゴルーデンレトリバーならゴールデンレトリバーの権威が各国にいる。かつ、審査員も然りであろう。世界最高の秋田犬審査員が日本以外の国にいるはずはないし、同様に、それぞれの犬の発祥国の誇りをかけて最高の審査員はその国にそれぞれ存在するのではないか。

 ヨーロッパの秋田犬審査員の水準を知る上で、非常に興味深い経験をした。その一端を、皆さんにご紹介しよう。「私の国でワールド・ドッグ・エキシビションがある。私はその展覧会に秋田犬を出場させ、世界一になりたい。すばらしい素質を持った生後6カ月の子を譲ってくれないか」。東欧州の一国で10年にわたって秋田犬を飼育しているオーナーから、当クラブ事務局がその依頼を受けたのはある年のことだった。大手鉄鋼企業の社長。本人は母国語しか話せないため、英語を使える会社の部下を通訳に電話をかけてきた。依頼者本人は秋田犬のウェブサイトまで所有しており、心底秋田犬に情熱を注ぐ人物と推察できた。日本から1、2度取り寄せたが、それらの犬に満足しているわけではない。だから今回は、世界一を目指して秋田犬発祥地から最高の犬を迎え入れたいという。

 依頼者は国産の中級車を1台購入できるほどの予算を提示してきたが、それはともかくとして、ここハチ公の古里で生まれた犬で「世界を獲りたい」という熱意に感心し、当クラブと最も信頼の熱い提携オーナーと検討した結果、「これからヨーロッパの礎になるような最高の犬を送ってやろう」ということになった。

 海外には、日本の展覧会で上位入賞できる秋田犬はほとんどいない。「なぜいないのか、理由は簡単だ。日本から良い犬を送らなかったからだよ」。全国の多くの審査員から「先生」と呼ばれる元審査員歴20年の大ベテランオーナーは、そう断言する。前述の東欧州の依頼者のウェブサイトを、大ベテランオーナーに見てもらった。トップページには、生後60日ほどの子犬たちに頬ずりする依頼者、そして子犬の母親が掲載されている。母犬の写真を一瞥するや、大ベテランは悔しそうにいった。「日本からこんな犬を買わされているのか。これじゃ、展覧会どころか番犬だ」。確かに、品位を感じさせない犬だった。ちなみに、その大ベテラン犬舎で生まれて海外に渡った数少ない犬のうち、チェコの犬(虎・オス)は欧州数カ国の合同展覧会でチャンピオン以外になったことはなく、その数10回以上にのぼり、欧州に名を轟かせている。これが日本から海外に秋田犬を送る、あるべき姿ではないか。

 当クラブサイトのいくつかのページでも触れているように、家族の一員にするだけなら秋田犬に良し悪しはない。どれも、それぞれの家族にとって「すばらしい犬」だ。しかし、展覧会を尺度としてとらえると、そこには厳然と優劣が存在する。顔や構成はもとより、舌に1点のシミがあってもいけないし、歯が1本欠けていてもいけない。審査中に吠えてもいけないし、品位のない動作をしてもいけない。審査箇所は実に60数項目にのぼる。東欧州の依頼者がみずからのウェブサイトで紹介している愛犬も、展覧会で勝つために日本からきわめて高価な値段で取り寄せたものだが、「日本の権威」にいわせると「よくこんな犬を平気で海外へ売ったものだ」となる。

 そうしたこともあり、当地からは「日本代表として恥ずかしくない最高の犬を送ってやろう」ということになり、前述の大ベテラン犬舎で生まれた赤オス(生後約4カ月)を候補犬に絞り込んだ。「この犬は、ここで生まれた歴代の犬の中で最高じゃないか」というほど絶対の自信をもつ犬だった。依頼者の希望に沿って、あらゆる角度から撮影し、写真を送った。数日後、依頼者からその犬に関する返事が届いた。「私の友人の国際審査員に評価したもらったので、それを伝えたい。その犬は、ヨーロッパチャンピオンになれるでしょう。しかし、いくつか気になる点があり、世界大会に出場するにはやや不安が残る。別の犬を紹介してください」。

 審査員の審査の甘さを叱責するほどの「大先生」であるそのベテランオーナーが「この犬からは、私ですら欠点を見つけられない」というほどの犬を、いわば「これはいけない」とケチをつけた欧州の秋田犬審査員。その審査員は、その犬について「色が薄い」「膝関節の下の瘤状が気になる」など数点を指摘した。これに対して、大ベテランは「色はあと数カ月かけて徐々に濃くなり、産毛が取れて完成した色になるんだよ。その国際審査員とやらは、そんな基本中の基本もわからないのか。膝の下の瘤状は、スケールの大きい犬に成長する証だ。そいつは、本当に秋田犬に触れながら審査の勉強しているのか」と、怒りを通り超えて苦笑した。

 国際審査員が指摘した「問題点」のすべてを、大ベテランはいともたやすく論破してみせた。当然である。秋田犬の審査の基準を体系づけた人、といっても過言ではないほどの人物なのだから。そうした、いわば「秋田犬の権威」が絶対の自信を示す犬を、ここが悪い、そこが悪い、といえるほどの国際審査員について冗談半分に「よほどすごい力量の持ち主なのだろう」ということになり、どれほど多くの秋田犬を審査してきたのかを訊ねた。だが、その返答には腹をかかえて笑いたくなるほどだった。「秋田犬については、JKCが発行している書籍を読んで、審査方法を学んだ」とのことだった。それだけで一人前の秋田犬審査員の顔をし、会場で参加犬に優劣をつけているのである。洋犬なら彼らの専門だからどうこういうつもりはないが、机上で秋田犬の勉強した程度の者が「国際審査員でござい」というのはまったく論外だった。

「それほどすごい先生の犬なのに、その良さがわからず申し訳ない」といいつつも、依頼者は数枚の写真を送ってきた。「私がほしいタイプの秋田犬」なのだという。大ベテランに見てもらい、再び笑ってしまった。「ヨーロッパでは、秋田犬のイロハも知らないらしい。どの犬も幼犬の部で勝負をして、その後はがたがたと落ちていく犬だ。幼犬の時だけはいいが、後はまったく良さが出てこない。こんな犬を日本から海外にやっているから、あっちでもこれが良い犬と思い込んでしまうんだ」。大ベテランのその言葉は、真に優れた犬を作り出すために半世紀にわたって苦労を重ねてきた思いとはまったく裏腹な現実への苦悩をにじませていた。

 東欧州の依頼者と電話でのやり取りを繰り返したが、結局、「秋田犬の良し悪しのわからない審査員しかいない国に、私らの大切な宝を送り出すことはできない。残念だが、あきらめてほしい」と断った。「本当の秋田犬を迎え入れたいなら、ここに来て数日勉強していくぐらいの気構えを持つべきではないのか」とも付け加えた。依頼者は「数カ月後に行く」などと答えていたが、その言葉から熱意は感じ取れず、「口だけ」と判断せざるを得なかった。「審査員が秋田犬を見れないんじゃ、どんな良い犬を送ってあげてもしょうがないだろう。私がもっと若ければ、現地に出向いて行って、本当の秋田犬が何たるかを教えてあげるんだけどなあ」。50年間、秋田犬と寝起きをともにしてきた真の「秋田犬飼い」の心を、彼ら欧州の秋田犬飼育者や審査員に、知るすべはなかった。数年後、欧州の審査員がケチをつけた大ベテランの犬は、日本の秋田犬展覧会の最高峰、本部展で最高の栄誉と讃えられる「名誉章」を獲得した。

HOME