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秋田犬動画概論

 秋田犬や忠犬ハチ公を題材にした動画は数多く存在する中、完成度が高く、必見に値する作品をこの場で1つ取り上げてみたい。

https://www.youtube.com/watch?v=ErTL9cVDtXs

 上記アドレスをクリックすると、閲覧できる。日本でも有名なハチ公の生涯をわずか6分5秒の動画にまとめ上げた作品だが、ご覧になってお分かりのようにフランスで作られたものである。タイトルは「Learn French with Story: Hachiko The Loyal Friend」。2015年6月23日に公開されたとみられる。パステル調の淡いカラーがある種の情感を醸し出し、女性ナレーターの声がフランス語の"特殊性"もあって心地よい。

 ハチ公を取り上げたこのような動画は本来、日本で誕生すべきものと考えるが、実はハチ公を研究している人は欧米を中心とする外国に多い。そうしたことからすれば、フランス語の「ハチ公物語」が産声をあげても不思議ではないし、世界中の多くの秋田犬ファンに観てもらいたい。2016年現在、閲覧数はそれほど多くないため、この作品を今コラムで取り上げてみた。

 今、秋田県、そしてハチ公の古里大館と周辺市町村は秋田犬を観光媒体にして国内外から観光客を呼び込もうと躍起になっている。そして、一つの動画を制作、公開した。

https://www.youtube.com/watch?v=xIulHxrENbU

 上記アドレスをクリックすると、閲覧できる。同じ秋田県人としてこの作品をこき下ろすつもりはないが、冒頭で紹介した作品の比ではない。「いろいろな作品があってもいいではないか」と言われればそれまでだが、コンセプトがまったく伝わってこない。そもそも、アイドル風タレントの顔を秋田犬に挿(す)げ替えて、"秋田犬語"で歌わせる必然性を見出せない。

 基本テーマが「大館って、秋田っていい所だよ。みんなおいでよ」なのは、それを思わせるカットを多数盛り込んでいることで理解できるし、「堅苦しい作品ではなく、軽いノリで作った」という意図も分かる。また、インバウンドに向けて売り出したい秋田犬と、今最も日本で使われているであろう単語の1つ「カワイイ」をイメージ的に融合させたであろうことも察しがつく。

 しかし、この作品からは秋田犬本来の品格、秋田犬の最も価値のある部分が何一つ伝わって来ないし、世界中で秋田犬が評価されていることへの本質さえ表現されていない。一言で言えば軽佻浮薄、つまり限りなく「軽い」現代を反映した作品と言える。

 当クラブは、テレビ局や番組制作会社の依頼に応じてたびたび秋田犬の画像を提供してきた。その中で数年前、このような申し出が制作会社からあった。お笑い芸人の山田花子さんの顔として使うので、秋田犬の顔のアップ画像を貸してほしい。受話器の向こうの依頼者の意図を、バラエティー番組で山田さんの顔を秋田犬に挿げ替えて使いたい、と理解した。

「それは、できません」と返した。秋田犬は、全身を一つのものとして映像化されてこそ、観る人の目に「秋田犬っていいなあ」という感慨に浸らせてくれるものだ。顔だけ切り取って、おちゃらけた使い方をするのは、まったくいただけない。

 試しに、最も信頼の厚いベテランオーナーにこの話を切り出してみたら、「そんな馬鹿馬鹿しいことに大切な秋田犬の顔を貸せるか」と一蹴された。尤もである。

 大館市で公開された"あの"動画はまさにそれで、秋田犬の本質などどうでもよく、「面白ければ万事OK」という世相を反映した精神が全面に押し出されている。ゆえに、観る人によっては「おもしれえ」「カッワイイ〜」となる。しかし、厳しい評価眼をもつ外国人は無論、日本でも老若男女に広く受け入れられるかと言えば、答えは「ノー」であろう。

 秋田犬は他犬種より価値が高い、というつもりはない。しかし、ハチ公に代表される秋田犬には明らかに他犬種と異なるドラマ性とオーラがある。だからこそ、それがどのような作品であれ、秋田犬の価値そのものを損ねる映像媒体はあってはならないと思うが、いかがだろう。

  制作者の中には「気に入らなきゃ、観なけりゃいいだろ」と平然と言ってのける者がいる。同様に、「気に入らなきゃ、私の作品を読まなきゃいいだろ」と言い放つ小説家や、「気に入らなきゃ、私の音楽を聴かなきゃいいでしょ」と言う歌手や音楽家もいる。そのような創造者たちの大方は、良い評価には耳を傾けるが、こきおろしたような見解には聞く耳もたぬという人たちであろう。だからこそ、平気で「気に入らなきゃ・・・」という言葉を口にする。

 大館市で公開されたあの動画の作者が、作る前に秋田犬の本質に触れるための基本的取材を怠ったであろうこと、そして作品に絶対の自信を持っているであろうことは読み取れる。だが、「1度観ただけで、2度観る気がしなかった」という感想を述べるのは、筆者だけではない。厳しい批評を真摯に受けとめられるクリエーターなら、次回は格段に優れた作品を世に送り出せるであろう、と付け加えておきたい。    (2016年11月12日掲載)

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