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また勝てばいいさ 「見返す虎の意地」に登場した「雲」を再びテーマにしてみた。 東北のある支部展に、彼の姿はあった。成犬牡の部、出陳犬は8頭。犬の完成期を迎える成犬の部は、いわば展覧会の花だ。この日の支部展でも"激戦区"だった。オーナーは彼を引き連れ、クルマで約2時間の位置にある秋田県大館市から会場に乗り込んだ。 支部展、総支部展、本部展の大会規模に関係なく、入賞を狙うなら避けねばならぬことがある。大会前の交配。それはオス、メスに限らず犬の臭覚を過敏にし、展覧会場で落ち着きを失わせる。 |
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支部展の3日前、「雲」は交配を余儀なくされた。秋田犬を知り尽くした「雲」のオーナーは、交配が展覧会での審査結果に悪影響を及ぼすことを熟知していた。が、旧知の犬仲間のたっての希望を無碍には断われず、仕方なく交配を承諾した。
時おり秋雨が降る会場に立った「雲」は、心なしか落ち着きを逸していた。それでも勇壮な立ち姿は、威風堂々、の表現がふさわしい。圧倒的な貫禄。8頭の顔ぶれからすれば、たとえ交配したにせよ、春に続く特優1席は揺るぎなきもののように思えた。あとは、審査員が適切な評価を下せるか、にかかっている。 が、20年の審査員歴を誇るオーナーですら予想外の犬が「雲」を超え、特優1席をもぎ取った。"焼け赤で毛が軟(やわ)い、あの犬が特優1席?"。オーナーの頬に苦笑が貼りついた。「雲」は特優2席。初めての敗北だった。 「雲」を引いて審査場所を後にしたオーナーは、親しい者たちに「負けることもあるさ」と、何事もなかったかのごとく笑ってみせた。「雲」ほどの犬を力量豊かな審査員が評価していたなら疑う余地なく特優1席なのだが、半世紀の秋田犬人生の中で勝利の充実感を味わい尽くしてきたオーナーは、少しばかりの敗北にはこだわらない。心残りなのは、審査員の経験の浅さ。「また勝てばいいさ」。そう言ってオーナーは、初めてトロフィーをもらえなかった「雲」の労をねぎらいながら家路についた。 |