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忘れられた色

 忠犬ハチ公の色に関し、稀にメールが届く。代表例を2点挙げると、1点は送信者の氏名、住所などまったくない典型的な迷惑メールタイプ。地元、秋田県大館市の超ベテランや当時の文献を総合すると、標準的な濃さの赤毛秋田犬、熟練者の間で「焼け赤」と表現される濃い赤毛、そして薄い赤毛のうち、ハチ公は薄い赤毛だったとみられる。今でも薄い赤毛はよく目にするが、あくまでそれは「薄い」にすぎず、当然のことながら「白毛」の秋田犬ではない。"迷惑"送信者は「ハチ公の色は白」と決めつけた上で、ネット上で公開されているハチ公の剥製のリンクアドレスを貼り付けていた。

 別の1点は、住所、氏名を明らかにするマナーに沿った送信者で、ハチ公に興味があって調べているという。剥製は赤に見えずむしろ白っぽく見えるが、知っている範囲で教えてほしいというもの。礼儀正しいメールは気持ちがよく、こちらも丁寧に返したくなる。

 ハチ公が亡くなったのは昭和10年3月8日で、それからほどなくして剥製にされたと思われる。没後約80年が経過し、当然のことながらそれほど長い歳月、修復の手を加えないままでいると色あせ、本来の色を逸してしまう。

 ハチ公の剥製写真を見ると、まだら状ながら頭部や耳の一部にうっすらと赤が見て取れる。また、背中のあたりからは肉眼での確認がむずかしいほど微かに、赤の余韻が感じられる。現代の剥製修復技術を持ってすれば、かつてのハチ公の色をある程度の水準まで復元するのはそれほど難易度の高いことではないはずだ。にもかかわらず、国立科学博物館、つまりは国が何もせずにハチ公を白と思わせる状態にし続けたとすれば、その認識はどのあたりにあるのだろうか。「生前ではなく現物優先」ということだろうか。

 ハチ公は、南極をたくましく生き抜いたタロやジロとともに、人の心を打つ、いわば日本を代表する犬である。そうした歴史的遺産に位置づけられるハチ公の剥製が見る影もなく色あせていくことに、何も手を打たないできたとすれば、その姿勢はいささか疑問だ。

 そうした姿勢を反映し、ネット上で公開されているハチ公の写真を見て「ハチ公の色は白」と自信ありげに指摘したり、「赤なのか白なのか分からない」と首をかしげる日本人は、今後ますます増えるだろう。今となれば「薄さ」の程度は、遺されたモノクロの写真などでは判別がつかないものの、ハチ公が赤毛であったことは疑いようのない"史実"だ。

 ハチ公の色について事実誤認する日本人が増えていくことには、彼の生まれ故郷に所在する当クラブとしては寂しい限りだが、それもある意味、時代の流れでやむを得ないのかも知れない。つまり、保管する国立科学博物館のせいにばかりはしていらいない、ということ。

 例えば、ここ大館市の市民に「ハチ公は何色?」と訊ねたとしよう。ためらわず「赤」と答えられる者は、10人中2、3人ほどではないだろうか。あるいはもっと少ない可能性もある。市民の口からハチ公を話題にされることは、供養祭などハチ公関係のイベントが開催されるときでもなければ、ほとんどないようにすら思える。郷土を知る社会科の授業では、どれほど取り上げられているのだろうか。ハチ公の色などすっかり忘れ去られ、「ハチ公の色は何色でしょうか」とクイズ番組に出題してもいいほどの時代になったのかも知れない。

 渋谷の忠犬ハチ公は銅像であるが故に、モノクロ写真と同様、その素材からハチ公本来の色を知るすべはない。というより、ハチ公は何色かなど全国のほとんどの人は興味がないだろうし、つまりは何色でもいい、ということになる。ハチ公の色をきちんと認識しているのは、仲代達矢氏や八千草薫さんらが主演した映画「ハチ公物語」を記憶にとどめている人や秋田犬を深く愛する飼育者たちぐらいのものではないだろうか

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