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死の淵から戻った銀は家族や、孫娘に銀をプレゼントした祖父母など一部の人に親愛の情を示すものの、他人にはほとんど心を開くことができなくなった。郵便配達員が来ても牙をむき、家族とどこかへ出かけても、決して他人に頭を撫でさせることはない。「なぜ、こうなってしまったのか」と原因らしきものをまさぐってみるが、答は見つからない。「誰にでも撫でさせる、そんな秋田犬でいてほしいのに」。家族の願い。だが、ほど遠い現実が立ちはだかる。 そんな銀が人の命を救うなど、誰が予想し得たろう。2010年1月26日。2歳の誕生日から、ほどない日のことだった。夏場は家族が同行するが、足元に気を遣わなければならぬ厳冬期はもっぱら真弘さんが銀の散歩を引き受けていた。 もうじき午後7時になろうとしている。雪あかりでうっすらと周囲を見渡せるものの、時おり吹雪が舞い、寒さで銀の引き綱を持つ手もかじかむ。公園の川沿いコース。積雪で人ひとり通るのがやっとの遊歩道を、いつものように歩くはずだった。が、何を思ったのか、道なき方向に銀は唐突に歩を進めようとした。その先に視線を投じてみる。人の姿などない、闇と混濁とした雪景色以外、何もなかった。 林さんが、お決まりのコースに導こうとする。しかし、頑(かたく)ななまでに銀は拒んだ。「オレは、こっちへ行かなくちゃならないんだ」と言わんばかりに、主人の意に反した方向を目指そうとする。人の力では阻止できぬほど、銀は強い何かに引き寄せられているかのようだった。数10センチはあろう雪藪。長靴に否応なく雪が入り込み、その深さは銀の腹部に達している。それでも突き進もうとする銀。何があるというのだ……。林さんは、胸中でつぶやいた。 4、5分も歩いただろうか。異変らしきものは何も感じられない。数メートル先の前方に、夏場は色とりどりの花を咲かせるアーチ状の設置物があるだけだった。だが、その陰に人の嗅覚では察知し得ぬ"何か"があることに、銀は気づいていた。だからこそ、雪藪をこいでまで主人を導いてきた。 銀の様子は、明らかにいつもと違う。"何か"を目がけて脱兎のごとく彼は駆け出そうとしたが、林さんはそれを制しつつ恐る恐るアーチ状の設置物の陰に回りこんでみた。雪を被ったシート。白色のシートは、あと少し経てば完全に雪と同化していたに違いない。それほど雪と見分けにくいシートだった。 目を凝らし、林さんが中腰で観察する。その刹那、腰を抜かさんばかりの驚愕に襲われた。シートから覗く2本の足。雪で重みを増した端に手をかけ、恐怖に抗(あらが)いながらめくってみた。まぎれもなく、眼下に存在するのは横たわる人の体。氷点下の中で、身動きひとつしない。老人のように見えるが、性別は無論、生死すら判別がつかない。日常とかけ離れた状況を咀嚼できぬまま林さんは、逸(はや)る銀を制しつつ、すぐさまポケットから携帯電話を取り出した。 ほどなくして数台のパトカーと救急車のサイレンが、辺りの沈黙を裂いた。驚くほど多くの警察官が駆けつけた。数日前に近くで殺人事件があり、「またか!」と、署内に緊張が走ったらしい。 翌日、林さんと銀は"恐ろしい現場"に再び、足を踏み入れた。老人が横たわっていた場所を、銀がじっと見つめる。主人が引き綱を引き、踵を返そうとする。銀はその場を去ろうとしなかった。何度も綱を引く。やがて、林さんは諭すように語った。「もう、あの人はいないよ。大丈夫」。ふと、主人の顔を見上げると、彼は納得したかのごとく歩き出した。「前日の騒動がただ事ではなかったことを、銀は理解していたのではないだろうか」と林さんは回想する。 後に林さんが北署から聞いた話では、発見されたのは独り暮らしのおばあさんで、肉親宛てと警察宛て、の2通の遺書をたずさえていたという。より確実に命を絶とうとしたのか、酷寒に身を横たえるだけではなく、薬物を服用していた。長い半生を重ねてさえ、みずから生に訣別しようとするからには、よほどの理由があろう。 担ぎ込まれた病院のベッドの上で、自殺を思いとどまらせてくれたのが1頭の秋田犬であることを老人は知った。あと少し発見が遅ければ、命は失われていた。そして、林さんが銀の意志に反し、いつもの散歩コースを一方的に選んでいても、命は失われていた。「犬にもらった命。残る人生は大切にしたい」と、署員に発見当時の状況を聴かされた老人は語ったという。札幌北署は林さんとともに、銀に「林銀様」と記した感謝状、人命救助功労のメダル、そして生活安全課の職員らが善意を出しあって犬のおやつの詰め合わせを贈った。 北海道の冬は、本州とは比較にならぬほど雪深い。だが、銀は雪でにおいがほとんどかき消されていたであろうにもかかわらず、鋭い嗅覚で自殺未遂者の存在を察知するとともに、異変を悟り、強い意志で行動に出た。 他人に牙をむき、時おり、家族をてこずらせる銀。しかし、彼は讃えられるべき"偉業"を成し遂げた。銀を知る人は、数えるほどしかいないであろう。だからこそ、全国の皆さんに、彼のような秋田犬もいることを記憶にとどめていただきたいと思う。
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