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生家にふたたび

 2011年1月14日。秋田県大館市に本社を置く地方紙の社会面に、秋田犬の記事が躍った。同市大子内にある忠犬ハチ公の生家、斎藤良作さん(62)方で年明け間もない今月、10年ぶり(※)に秋田犬を飼い始めたという。同氏宅を知る人から「先代までは秋田犬好きだったが、今の代はそうでもない」と何度か聞かされていただけに、ハチ公生家で再び秋田犬が暮らし始めたニュースは新鮮な驚きだった。1923年(大正13年)1月14日、ハチ公は東京の上野英三郎博士のもとへ旅立った。生誕88(ハチハチ)年の今年、再び生家に秋田犬がやって来たことに、浪漫のごときものを感じる。

 忠犬ハチ公の物語と銘打ったページで、ハチ公の一生についてある程度触れているため、ここでは割愛させていただくが、当クラブは直接当地に子犬を迎えに来られる皆さんを、たびたび「ここがハチ公生家です」と案内してきた。

 とはいえ、生家は立派な現代的家屋で、ハチ公が生まれた大正時代を彷彿とさせるものは何も見当たらないし、秋田犬すらいなかった。従って、生家の敷地入り口付近に建立された生誕の地を示す記念碑や素人造りの秋田犬像の前で記念写真を撮り、秋田犬をモチーフにした「ハチ公トイレ」を利用してもらうのが、せいぜいだった。

 そのたびに思ったものである。せめて同氏宅で秋田犬を再び迎え入れれば、秋田犬と暮らすために当地を訪れた皆さんや観光客の感慨も増すだろうに、と。しかし、知人の話が耳にこびりついて離れなかった。「今の代は、それほど秋田犬が好きなわけではない」。が、記事によれば「前々から飼いたいと思っていた」と、斎藤さんはコメントしている。そして、仕事(農業)の一線から退いて余裕が出てきたため飼うことにした、とも。読みつつ、首をかしげた。知人が話していたことと記事の、いずれが正しいのかと。

 斎藤さんは、記者に対してこうも語っている。リチャード・ギアが主演したハリウッド映画「HACHI 約束の犬」の公開以降、同氏宅を国内外から訪問する人が増え、秋田犬がいないのを残念がった……。そうした訪問者の期待に応えたい気持ち、そして秋田犬が好きという思いが迎える決意につながった、と考える方が自然なように思える。斎藤さんが迎えた秋田犬は、2010年11月初旬に生まれた赤のメス。「春香(はるか)」と命名された。

 ハチ公生家で再び秋田犬が暮らし始めたのを機に、大館市や県が前向きに整備をすれば、周辺一帯は有力な観光資源になるのではないか。生家をベースに「ハチ公通り」と名づけられればいいのだが、残念ながら「ハチ公通り」の名は経済沈下が著しいかつての目抜き通りの商店街振興組合が2009年に"先取り"してしまった。

 ハチ公生家で再び秋田犬を飼い始める意義と価値は、同じ大館市内の一般家庭が飼うのとは違う次元にあり、"地域おこし"にも直結してくる。そうした意味では、ハチ公生家前の通りこそ「ハチ公通り」として整備すべきものであり、市内中心部に位地する秋田犬会館と観光的見地から線で結ぶ可能性も見えてくる。

 いずれにせよ、長い間、秋田犬の姿がなかったハチ公の生家で再び秋田犬が暮らし始めたことは喜ばしい。斎藤さんは、まちおこしにも貢献したいと張り切っており、大館市への観光客の増加や「秋田犬を飼ってみたい」という皆さんが増える足がかりになってくれたら、と期待する。     (2011年1月14日)

※1月15日付の他紙では「ここ12年ほどは飼っていない」とも記載しております。取材を受ける側が、その時によって答え方が微妙に異なり、それが新聞記事にも反映されます。当クラブが創設された2000年にはハチ公生家に秋田犬はおりませんでしたので、「12年ほど」の方が正確の度合いが高いと思われます。

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