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今コラムは「心をとどめた魂」の続編である。2012年、蘭は"夫"のサブに先立たれて初めての真夏を迎えようとしていた。15歳。家族は「晩年」を覚悟している。それでも、サブが逝って数カ月で蘭まで召されたら、悲しさ、寂しさは計り知れない。 相棒を迎えてあげたら、蘭も気持ちに張りが出るのではないか。家族は話しあった。息子だけが、頑なに首を縦に振らなかった。「新たに迎えた子犬に家族の気持ちが行ってしまったら、蘭がかわいそうだ。生きてる限り、蘭にだけ愛情を注ぎたい」。そう言い放った息子の思いを、両親は不承不承受け入れた。 問題は、猛暑の夏を乗り切れるかどうか。食欲だけは旺盛で、今のところ病魔にも侵されていない。しかし、寄る年波には勝てず、1年以上も前から散歩を断念し、庭内のみ往来する生活。食が太いのに反比例して体は痩せ、38キロあった体重は17キロまで落ちてしまった。 せめて、夏だけは乗り切りたい。猛暑をしのぐために昨年までは、エアコンの効いた居間で過ごさせていた。しかし、今は歩く最中(さなか)に大便をぼたぼたと落としてしまう。すでに、家族と同じ空間で過ごせる状況ではなくなっていた。 といって、犬舎では真夏の暑さに耐えられる体力が残っていない。何とか、ならないものか。電気店を営む主人が、はたと膝をたたいた。「蘭のために、犬舎内にエアコンを取りつけよう」。本来、人間様が使用する高価なエアコンを、年老いた1頭の秋田犬のためにだけ使う。だが、家族にとっては、何の抵抗もなかった。犬は単に犬にあらず、家族。 すぐに、とりかかった。エアコンを設置できるように、犬舎も建て直した。「あとどれぐらい生きててくれるのか、まったく予想もつかない。エアコンがたとえひと夏だけの役割だったとしても、蘭が猛暑から解放されるなら、それだけでいい」と夫人は言った。 子犬や若い秋田犬のために犬舎にエアコンを設置するとしたら、まさに過保護、溺愛。決して褒められるものではない。が、いつ終焉を迎えるか分からぬ老犬となれば、話は別だ。生命を繋ぎとめる道具、という形容がふさわしい。 いずれ迎えが来るとしたら、人間であろうが、犬であろうが、病魔に苛まれた挙句に亡くなるよりは、老衰で天寿を全うするのが理想。Aさん家族は、その瞬間の到来を覚悟しつつも、1日でも長く延びるよう願いつつ、蘭と向きあっている。
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