BANNER0808.JPG - 66,727BYTES

三たびハチ公の色

  「みぞぐちカツなる人物が、ハチ公クラブを名指しで書き込みをしていますが、知っていましたか」と、お客様の1人が不快げに耳打ちしてくれた。無論知っており、ちりちりとした不快感を否めずにいたが、"無言"を貫いてきた。しかし、お客様にも同様に不快感を感ずる方がおられるとすれば、話は違う。まずは、2012年7月12日に「みぞぐちカツ」なる人物が掲載した"問題"のページをご覧いただきたい。

 

http://en.whotwi.com/chocoramastudio/tweets?only_popular=&page=9


http://en.whotwi.com/chocoramastudio/tweets/archive/2012/07/12


http://en.whotwi.com/chocoramastudio/tweets?page=11

 

 この人物の最も無責任な点は、何一つ論理展開をすることなく、やみくもに当クラブをあげつらね、以前掲載したコラムの内容を間接的に批判している点であろう。すでに掲載期間を終えていたコラムだが、今コラムのために再度掲載してみる。

 当クラブが「憤っている」などと、この人物は決めつけている。が、「憤っている」と「批判している」が根本的に異なるのを、著書があるからには物書きを生業(なりわい)としているであろうにもかかわらず、まったく咀嚼できていない。むしろ、それ以前の問題で、何も論理展開できないにもかかわらず、単に当クラブを暗に"糾弾"している。

 ちなみに、「憤っている」を換言すれば「腹を立てている」となり、主観性が色濃い。これに対し、「批判している」は「腹を立てている」とは異なるトーンを有し、そこには客観性が介在する。つまり、「腹を立てている」だけでは批判足り得ないわけである。さらに平たく言えば、当クラブは国立科学博物館を批判はすれ、腹を立てる理由も動機もない。「みぞぐちカツ」なる人物は、この点を微塵も理解していない。

 一方、「忠犬ハチ公の剥製の色」というタイトルを付した文章がある。当クラブのコラムをもとに緻密に論理展開しており、客観的で考察が興味深い。この中で筆者は、当クラブが「不満を述べられている」と表現しているが、「不満」は「批判」につながるため、単なる「憤っている」とは異質のものであろう。そうした観点から、筆者はある程度配慮した書き方をしていると解釈できる。

 ただ、ハチ公の色について当クラブが「赤い色をしていたはずだと想定されているようだ」との記載に対しては、異論を禁じ得ない。下段で触れるが、当クラブの見解にかかわらず、当時の文献にはハチ公が白毛ではなく、赤毛であることを認知している表現がある。また、当クラブはハチ公の"シンボル性"に重きを置いているのではなく、ハチ公の剥製はもとよりレプリカまで「ハチ公は白」とすることにより、全国の多くの人たちが「ハチ公は白」と誤認している。ハチ公の古里、大館市までもが「はちくん」と称して、白い秋田犬をデザインした観光キャラクターを登場させ、さまざまなイベントなどに着ぐるみが出張っている。

 また、2014年3月8日のハチ公の命日だったと記憶している。大手検索サイトのGoogleは、日本語版トップページに渋谷駅で主人を待つハチ公の絵を掲載した。白いハチ公。恐らくは、ハチ公の剥製やレプリカを見て、「ハチ公は白」と誤認したのであろう。むしろ、「ハチ公が白であろうが、赤であろうがどっちでもいい」ことだったのかも知れない。これもまた、同博物館が与えた影響ではないのか、と考えざるを得なかった。ほかに、ハチ公を白く描く材料がないからである。

 そうした一連の事実を、同博物館はいかなる認識で受け止めているのか、と疑問を呈したのである。よしんば、「白いハチ公」を現行のまま展示したとして、「ハチ公は本来、赤毛です」との注釈など不要と考えているのか、という点も付け加えたい。

  次に下記サイトをご覧いただきたい。

http://twitpic.com/a6nvtb

 「みぞぐちカツ」なる人物が管理団体の許可を得て、「ハチ公健在」の文献をアップしたのかどうかは判らない。それはさておき、同内容に言及すると、ハチ公の色について山本悌二郎氏が「黄毛」、つまり秋田犬の世界で使用する表現の「赤毛」と断じたのに対し、自分たちが見た限りでは薄赤、白の部類に入れてもさして不都合ではない、などと筆者は記している。

 これに加え、古来から忠犬は白と相場が決まっているのでハチ公も白だ、と言わんばかりの論理のすり替えまでしている。当然のことながら、ハチ公の色と「忠犬が白」などということは何の因果関係もないばかりか、古今東西の忠犬が白であろうはずなどない。ちなみに、当クラブも協力して韓国の出版社が刊行した「全世界の子どもたちを感動させた偉大な犬の物語」(邦題)では、ハチ公を含む世界7カ国の犬たちを紹介しているが、そこには赤もいれば、斑(ぶち)もおり、狼色もいる。

 ハチ公は昭和10年3月8日、渋谷駅から少し離れた場所で、ひっそりと13年の生涯を閉じた。齢を重ねるにつれて人間の頭髪は白くなっていき、最後はほぼ真っ白になる。それと同様、赤毛の秋田犬も10数年生きると、若い時代とは比較にならぬほど赤の基調が弱まる。犬によっては「白に近くなる」ことも十分にあり得る。当クラブも少なからず、老いによる毛色の変化を目の当たりにしてきた。

 ハチ公も色の変遷を遂げたことに疑う余地はなく、同文献で「吾々」なる人らが「薄赤」と表現していることからも、もともとハチ公は赤毛であったことを認めているのが分かる。つまり「黄毛」と見立てた前述の山本氏も、「薄赤」と見た「吾々」も、異口同音にハチ公の元来の色は赤であることを認知している。

 蛇足を申せば、昭和62年8月1日に公開された映画「ハチ公物語」(松竹富士配給)をはじめ、後にハリウッドで制作されたリチャード・ギヤ氏主演の映画、さらには過去に放送されたハチ公のテレビドラマのすべてで、ハチ公の色が白として描かれたことは皆無である。それら作品は"時代考証"に基づいて制作されており、ハチ公が赤毛であることに寸分の疑いもいだいていない。

 ここまで論理展開すると、「みぞぐちカツ」なる人物はこう切り返したくなるであろう。「文献に、ハチ公が白に近いと書いてあると言っただけだしさあ。それが、何なの? 理由(わけ)わかんねえ」と。ならば、その文献をもとに自分の考察を丁寧に紹介すればいいのであって、ほんの3行ばかりの短文に、ことさら当クラブの名称、コラムをあげつらう必然性などどこにもない。無論、「短文のツィッターだから許される」という低レベルの次元ではない。

 とどのつまり、「憤っている」などというある種乱暴で短絡的な表現をしつつ、当クラブのイメージを損ねている以外の何ものでもない。そこに当クラブの名前とコラムを明記するなら、当コラム内に「みぞぐちカツ」の名を明示することにも、必然性が生ずるのである。

http://twitpic.com/a6nvtb

 上記サイトを再度ご覧いただきたい。以前当クラブ事務局が確認した際は、当該画像の下に直接、当クラブのコラムのサイトアドレスを直貼りして当クラブが「憤っている」とぶち上げていた。しかし、最近再びチェックしたところ、ちゃっかり文面を削除し、画像だけを貼り付けたままにしている。

 だが、当該ページのソースを見てみると、 「ハチ公クラブが憤っている」とする旨の文面とコラムアドレスを、これでもか、とばかりにタイトルをはじめ4度も貼り付けている。公開ページから文面を削除すれば、当クラブに気づかれることはないとタカをくくったのか。ハチ公の何たるかも知らずにハチ公を語りたくてうずうずしていたのであろうが、このような輩が当クラブをやり玉に挙げてハチ公を語ろうとするとは、ハチ公の古里に住む者として、何とも残念である。

2017年12月:最新版

HOME