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わさおの出自(2)

  このコラムは、2013年10月に公開した「わさおの出自」の続編である。実のところ、出自に関しては、わさおが生まれた犬舎を特定できたことで完結、との結論に至っていた。だが、あれから4年半。唐突に、新たな証言者がわさおの住む青森に現れた。

 当クラブの取材に対して前回の証言者、つまり秋田県北部の重鎮が面白おかしくでたらめを言ったのか、あるいは、同重鎮に対して〇〇氏が嘘を言ったのか、それは定かではない。ゆえに、前回のコラムを削除してしまうこともできるが、読者の皆さんに経緯を知っていただく意味で、あえて前回の内容を残したまま今回を「続編」としてみた。

 わさおには"嫁"の「つばき」がいる。氏名を明かすのは避けるが、今回の証言者はわさおのためにつばきを提供したベテランである。青森県の秋田犬界きっての情報通なことからしても、前回の秋田県北部の重鎮以上にこのベテランが言う「わさおの出自」の方が信ぴょう性が高いと思える。

 そのベテランを仮に「A氏」としよう。A氏が言うには、わさおは青森県つがる市、旧西津軽郡木造町の犬舎で生を受けた。数年前に故人となったが、秋田犬団体の青森県支部長を務めたこともある重鎮が作出者で、彼は生まれた子犬のうちの1頭、つまり後に「わさお」と呼ばれる子を知り合いに譲ったという。

 しかし、体が大きくなるにつれて持て余すようになり、もらい受けた人は隣町の鯵ケ沢町に捨てたとのこと。場所は、わさおが後に暮らす「きくや商店」最寄りの道の駅周辺だったらしい。わさおの両親はすでに他界し、数年前まではきょうだいのうちの1頭(赤毛)が展覧会に出ていたが、その犬もすでにこの世にはいないようだ。

 出自に関して新たにお伝えするのはここまでで、後半はあまり世に知られていない"逸話"を余談として披露してみたい。わさおの飼い主だった菊谷節子さん(2017年11月30日に73歳で逝去)の「わさおに子を」との望みを受け、前述のA氏は同じわさおと同色のメス、つばきを提供した。しかし、交尾を確認できても、わさおとつばきの間に新たな命が宿ることはなかった。

 依頼を受け、青森県内の獣医師がわさおの繁殖能力を調べたところ、「精子がない」と診断。その後、テレビ局も絡み、より精度の高い機関で調べた結果、「精子はあるものの、ごく少数」と前者の誤診が明らかになり、「不妊治療をすれば生まれる可能性は微かにある」との期待が膨らんだ。しかし、時すでに遅し。わさおの繁殖可能年齢は過ぎており、結局、"わさおジュニア"の誕生は夢と潰えた。

 「わさおが若いころに瓜二つのメスが自分の所にいたため、つばきに続いて提供した」とA氏。当初、A氏はその犬を別名で呼んでいたが、「テレビ局も加わって、いつの間にか『ちょめ』に変えられてしまった」と苦笑する。「ちょめ」はいわば、わさおの養子のような位置づけで、3頭の"親子"は今(2018年現在)も仲良く暮らしている。

 わさおの生きざまは映画にもなったほか、かつては全国放送するために月に複数回テレビ局も現地入りし、A氏も少なからず関わっていた。最近の動きについて、「菊谷さんが亡くなったのを境に、テレビ局上層部の方針もがらりと変わったとかで、ほとんど撮影に来なくなった。再び大々的に取り上げるのは、わさおにお迎えが来た時、とスタッフが話していた」とA氏は寂しげに語る。

 かつてのスターがマスメディァに見放され、しだいに世の中に忘れられていく様を彷彿とさせる。しかし、秋田犬として生まれたわさおに、人間のような「自分はスターだったのに」という意識などあろうはずもなく、その命尽きるまでわさおはわさおらしく生き、かつてハチ公が上野博士のもとへ旅立ったように、慕い続けた「お母さん」菊谷節子さんのもとへ、そう遠くない将来、旅立つのであろう。  (2018年4月20日掲載)

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