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今回は、迎える心構え2と迎える心構え3で紹介した「どのような人が秋田犬と暮らすのに向かないか」というテーマを少し深掘りしてみたいと思います。前述のコーナーでは、1回あたりの量が決して少なくない糞(ふん)を片づけることが生理的にいやな方や根っから散歩嫌いの方には向かないでしょう、と申し上げました。 さらに付け加えるなら、独り暮しの方も秋田犬を迎えるには難がある、と言わざるを得ません。「なんでなの?! 私(僕)は経済的余裕があるし、健康にも自信があるし」と反発する方がおられるかも知れません。 経済的余裕はともかく、健康面を考えてみてください。秋田犬を迎えたら、平均で10年から10数年、生活をともにすることになります。その間、病気や事故などで急きょ入院を余儀なくされたり、突然"あちら"からお迎えが来たりすることは絶対にない、と独り暮しの皆さんは断言できるでしょうか。 「その時はその時」と安易に考える方もおられるかも知れませんが、独り暮しの方の孤独を癒してくれる秋田犬の行く末は、すべてその方お一人にかかっています。独り暮しではなく家族がおられる場合は、入院中や他界した際に飼育を引き継いでくれるでしょう。しかし、何かあった場合のために事前に気心の知れた人に「後のこと」を頼んでおける方でない限り、独り暮らしの方が秋田犬と生活をともにするのはむずかしいと言わざるを得ません。高齢の方なら、なおさらです。 実は、夫婦など2人暮しなら問題ない、というわけでもありません。例えば、ご主人がどうしても秋田犬を迎えたいとします。そして、まったく乗り気ではない奥さまが「私は一切世話をしない」という"条件"付きで渋々承知したとします。この場合、何があっても奥さまは新たな家族の一員たる秋田犬に愛情を注がぬ「ネグレクト」であることを意味します。これもまた、独り暮しと同様に赤信号が灯ります。 2021年に起きた、悲惨な例を取り上げてみましょう。ともに80代後半の老夫婦が、東北のある県庁所在地に住んでいました。夫は家業のかたわら約60年にわたって多くの秋田犬と暮らし、子犬の作出や展覧会に情熱を傾けてきました。片や夫人は、犬たちに餌を与えることはもちろん、触ることすらしませんでした。 夫はとても小柄で痩せているのですが、「相撲で負けたことは一度もない。屈強な自衛隊員を打ち負かしたこともある」と豪語するほど健康に自信を持っていました。色つやも良く矍鑠(かくしゃく)とし、88歳で受けた健康診断では「医者に、あなたはどこにも悪い所がない。100歳も十分いけるのではないか」と太鼓判を押された、と自慢していたほどです。 これほど健康に自信がある人でも、しだいに認知症の症状が現れたのに加えて重篤な病気も見つかり、急きょ入院することになりました。その時、自宅敷地内の犬舎では5頭の秋田犬が暮らしていました。数十年にわたって1度も秋田犬たちに愛情を注いで来なかった夫人は、夫が家に戻れなくなった事態に陥ってすら餌を与えませんでした。犬舎の中を覗いてみることすらしません。夫もまた、入院を境に認知症が悪化し、飢餓にさいなまれつつ秋田犬たちが自分の帰りを待っていることなど頭の片隅にさえありませんでした。 入院から3カ月ほどして、夫の犬仲間のもとに夫人から一本の電話が入りました。「犬たちを片づけてくれないか」と。事の仔細を訊ねると、夫が入院している間に犬たちが死んだとのこと。かけつけてみると、複数の犬舎内で餓死した犬たちの哀れな光景が目に飛び込み、彼は驚愕に襲われました。 最低限、餌と水を与えてさえいればこうした陰惨な事態にはならなかったはずですが、夫人は何ひとつしませんでした。犬仲間は動物専用の火葬場に遺体を運び、これほど哀れな死に方を見たことがない5頭の亡骸を荼毘に付しました。 これは極端なケースなのかも知れませんが、家族が完全にネグレクトだとこうした事態は起こり得る一例として、個人を特定できないよう配慮しつつ取り上げました。秋田犬を迎えるにあたって、自分はすべての点で整っているのか否かを熟慮した上で最終結論を出す参考にしていただければと思います。 |