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迎える終焉の日

 これは、心をとどめた魂注がれし愛情の続編である。サブが病(やまい)に倒れ、12歳半ばで逝って約1年。"妻"の蘭はAさん家族に思いを残し、15年の生涯を静かに終えた。

「餌もほとんど口にしなくなりました。腰骨が浮き立つほど、すっかり痩せてしまって」。時おり声を詰まらせながら、夫人は受話器の向こうで言った。2012年12月20日のこと。「心の準備をなさっておいた方がよろしいかと思います。せめて新年を、ともに迎えられるといいですね」。そう返すしかなかった。

 かつて30数キロあった体重は、14キロにまで落ち込んだ。もはや散歩すらできず、犬舎の中に半ば横たわったまま。蘭のために犬舎内にエアコンを備えつけ、猛暑の真夏を何とか乗り切った。年齢にかかわらず、北国秋田を発祥の地とする秋田犬にとって、炎天の夏は苦手な季節。まして高齢なら、若い犬以上に体力を消耗する。

 年が明けた。蘭は家族のために気力で越年した、と思っていた。しかし1月8日、夫人は受話器の向こうで告げた。「12月29日の朝、サブのもとへ旅立ちました」。細々ながらも命の炎がまだ灯っていることを確かめるために、家族はこれまで以上に犬舎に足を運ぶようにしていた。

 その朝、蘭の体はまだ温もりを残していた。「今し方、旅立ったんだなあって思いました」。蘭は涙を流していたという。「誰にも会えぬまま逝くのを悲しんで泣いたのか、それとも死ぬ苦しみで泣いたのかは判りませんが……」と話す夫人に、「静かに眠るように旅立ったのですから、先に逝ったサブに会えることや、残されたご家族を思って泣いたのではないでしょうか」と返した。

 ひとしずくの涙と題するコラムでも取り上げたが、秋田犬の涙をかつて1度だけ見たことがある。鮮烈な印象を受けた。犬は人間が考える以上に深い精神世界を持っている、と思いたくなるほどだった。ある種の情動が、臨終の蘭に涙を流させた。そう考えた方が、自然ではないだろうか。この世で無数に繰り返される家族と愛犬との永遠の別離。そこには常に、深い悲しみがある。

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在りし日の蘭と幼いころのサブ
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