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かかわる精神

 ほかのページと重複する部分もありますが、このコーナーでは家族の一員として秋田犬を迎える皆さんが愛犬とどうかかわり合っていくか、について論じてみたいと思います。

 まず、当クラブが強調したいのは「愛情と溺愛はまったく異なる」という点です。これは皆様ご承知のとおりで、愛情は読んで字のごとしですが、溺愛は「けじめが欠落」してしまいます。迎えた秋田犬を精神面でも健全に育てるには、厳しく接しなくてはならない場合も少なからずあります。

 誤解していただきたくないのは「厳しく接する」とは、いうことを聞かなければ殴ったりはたいたりしていいというのでは決してなく、してはならないことをしたら身をもって「教え諭す」と表現した方が妥当も知れません。無論、これは根気がいりますし、容易なことではありません。

 前述の「けじめが欠落」するとは、「際限なく愛を注いでしまう」という意味合いに近いかも知れません。「至れり尽くせり」や「上げ膳据え膳」という表現がありますが、望まれるままに物質や環境を「けじめ」なく与え続けると、「自分はこの家の王様」と勝手に思い込み、やがて制御不能となる愛犬も出てきます。制御不能の一例としては、気に入らなければ無駄吠えをしてみたり、散歩に出たがらなかったり無理にせがんだり、家族や訪れた人を威嚇してみたり、などさまざまです。

 「愛情」と「溺愛」は、人間の子育てにも通ずるものがあります。子どもの時から「けじめ」なくほしい物を与え続けるとどうなるでしょうか。また、叱ってあげなければならない時に、まったく叱らないまま育てると、どんな若者、おとなになるでしょうか。ここで申し上げたいのは、秋田犬の子も人間の子も育て方を誤ると、将来的に取り返しのつかないリスクを背負う危険性があるということです。

 さて、動物関係の資格を得るための受験勉強用テキストなどには「動物の人格化を行わないことが大切」との記載があります。「人格化を行わない」とは、ペットに代表される人間以外の動物も人間と同様の感情や意識を持っているのではないか、と錯覚すべきではないという意味です。秋田犬を含む動物の行動やコミュニケーションは、時には人間の行動に似ているように見えることがあります。しかし、「人間とそれ以外の動物は異なる生物であり、それぞれ独自の感情や意識を持っている」と、動物学では考えられています。

 体の構造や機能が人間と異なるにもかかわらず、人間と同じような行動を無理強いするのもまた「人格化」の一例と言えるでしょう。場合によっては、虐待に直結することすらあります。

 例えば、散歩中の秋田犬が途中で立ち止まったまま、リードを引っ張っても歩かなくなったとします。「なんだよ。こいつ、なんで歩かないんだよ」と、いらつく飼い主もいることでしょう。しかし、秋田犬もまた人間と異なる感情や意識を持っているとの前提に立てば、立ち止まるには愛犬なりの厳然たる理由があるのではないか、というわけです。

 なぜ立ち止まるのか、確信的な答えにたどり着くのは容易ではないでしょうし、愛犬もなかなかヒントを示してくれません。愛犬の心に少しでも近づくには「日々の観察を怠らない」ことが最も肝要と当クラブは考えます。

 皮膚疾患に悩まされている秋田犬がいるとします。これが人間なら「痒くてたまらないよ!」と家族、友人、知人などに訴えることができます。皮膚疾患の場合、我慢できないほど痒いがゆえに、頻繁に患部をなめる秋田犬もいます。

 これを「人格化」してしまうと、「この子は痒い!と訴えているんだな」と人は思い込んでしまいがちです。確かに、訴えているのかも知れませんが、人間の思い込みとはまったく異なる意識があったりもします。小鳥や小動物を中心に、少しでも異常を見破られないように隠す習性が動物にはあることが知られています。秋田犬の場合も、皮膚の状態がとても悪くなっているのに家族は今まで知らずにいた、などという例も少なくありません。これは、不調を見せまいとしていることの裏返しといえるでしょう。

 ただ、「人格化を行わない」という"教え"に対し、当クラブは少し懐疑的な見方をしています。「カニス・ファミリアリス」の学名をもつ犬は、祖先のオオカミに端を発し、あらゆる動物の中で最も長く人間の暮らしの中に溶け込んできました。動物学的な和名は「イエイヌ」と呼ばれるほど、はるか古代から家族の一員だったわけです。

 例えば、家族の中で最も愛犬の世話をしている人が出張や入院などで一定期間家を空け、久しぶりに戻ったとします。その人の姿が視野に飛び込むや、ほとんどの秋田犬が再会を心から喜ぶかのように抱きついてきます。当然、その人は「とてもうれしいんだな。自分もうれしい」と思わずにはいられません。また、「愛情ゆえの「忠犬」」や「身を挺し主人を護る」では、危険を顧みず主人を助ける秋田犬を紹介しています。

 何を申し上げたいかといえば、とりわけ秋田犬は人の心を察し、人間にかなり近い感情を持っている可能性がある、ということです。それは、飼育者の誰もが日常的に体験、実感していることではないでしょうか。無論、蛇やトカゲなどの爬虫類や鳥類など人間が及びもしない思考体系の動物の方が圧倒的に多いでしょうが、古代から人間の家族や友である犬に「人格化を行わない」とする"教え"は、虐待などにつながる身勝手な解釈をしない限りはそぐわない、というのが当クラブの考え方です。人間以外の動物について「どういう思考体系なのか学術的に判っていない」わけですから、「犬は人間に近い思考体系を持っている」との推論に立ったとしても、それを完全否定することはできないのではないでしょうか。

 また、愛犬と漫然と暮らしているか、日々観察を怠らずに暮らしているか、が長寿、短命、健康、不健康の分岐点になる、というのが当クラブの持論です。人格化しようが、しまいが、愛犬がどんなに異常を隠そうとしても、日々観察を怠らなければ早期発見につながるとともに、散歩途中でテコでも歩かない事態が生じたとしても熱心な観察によって解決の糸口が見えてくる可能性は高まります。それこそが愛情、と考えます。

 ところで、秋田犬を迎えるにあたって重要なのはなんでしょうか。「秋田犬を飼いたい」ということ以上に、「秋田犬を飼える生活条件にあるか」ということです。日々の餌代を含む金銭的な問題や、秋田犬を飼いたいけど家族が了解していない、近所の住民と著しく仲が悪いなど、条件が整わない場合もあります。このうち近所との良好な関係がいかに大切であるかについては「迎える心構え1」で触れていますので、参考にしていただけたら幸いです。

 もし秋田犬と暮らす条件が整っていなければ飼育過程で行き詰まり、最悪の場合、虐待や飼育放棄すらあり得ます。ご家族も秋田犬も、時間を共有することによってともに幸福であることが何より重要です。

 加えて、「生態、習性、生理をよく理解し、愛情と責任をもって終生飼養する」というのが適正な飼養管理の原則です。条件が整わない方、適正飼養に対する自信と責任を持てない方は、「とりあえず飼ってみるか」と"見切り発車"しないことが求められます。

 さらに、動物関係法令の知識をもつことも大切です。動物愛護管理法は、動物取扱業者を規制したり監督したりするだけの法律ではありません。咬傷事故の未然防止や衛生管理の徹底などを含め、法律の枠内できちんと秋田犬を飼育しているか、という点も無視できません。

 このページの締めくくりに、WHOが憲章に定める「健康」の定義をご紹介しましょう。

 Health is a state of complete physical,mental and social well-being and not merely the absence of disease of infirmity.

 邦訳すれば「健康とは、単に病気や不健康ではない状態にあらず、身体的にも、精神的にも、社会的にも満たされていることである」。この考え方を人間にとどまらず家庭動物にも適用していこう、というのが今や世界的な潮流です。

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